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三上章「象は鼻が長い」 「ハ」に潜む他者からの問い

みかみ・あきら(1903~71)。日本の文法学者=くろしお出版提供

大澤真幸が読む

 奇妙なタイトルをもつ本書は、市井の言語学者による日本語論の名著。ここで「主語」が否定される。ヨーロッパ語をモデルにすると、文の中核的要素は主語だと考えたくなるが、日本語にはそれは当てはまらない。三上章はこのことを証明する。

 日本文法において、主語の代わりに縦横無尽に活躍するのは、「ハ」という係助詞だ。「象ハ鼻ガ長イ」の「象ハ」は主語ではない。「象について言えば」と話題を提示しているのである。「X(エックス)ハ」の本務は提題である。

 「本務」と言うからには兼務がある。先の文の内容は、「象ノ鼻ガ長イこと」と言い換えられる。ここに、もとの文にはなかった「ノ」という助詞が顕(あらわ)れる。ということは、もとの文では「ハ」が「ノ」を代行しており、そのため「ノ」が隠されていたのだ、と三上は解釈する。「ハ」の兼務は、「ガノニヲ」といった助詞の代行である。

 本務と兼務では、呼応(どこに係るか)が異なる。「象ノ」は「鼻」という名詞に係っている。しかし、「象ハ」は文末まで勢いが及ぶ。呼応を誇張すれば「象ハ鼻ガ長イナア」となる。一般に兼務は短く厳密に係り、本務は大きく大まかに係る。

 兼務の係りが短いのは、事柄の論理的関係を示せば使命を終えるからだが、本務の係りはなぜ大まかで大きいのか。提題が本当は「Xハ?」という問いだからだ。問われている段階ではXがどうなるか未定なので、係りも大まかだ。そして問われた以上は、答える方は最後まで言い切らなくてはならないので、文末まで大きく係るのだ。「Xハ云々(うんぬん)」は自問自答である。

 以上の三上説から、日本語に伏在する言語感覚が見えてくる。自問自答というが、本来、問うのは他者である。日本語の文は、他者からの問いへの応答なのだ。ヨーロッパ語で主語が中心になる一因は、「主語の中の主語」である語る主体(英語のI〈アイ〉)がことばの源泉として特権化されていることにある。しかし日本語では、語る主体の前に問う他者がいる。=朝日新聞2021年6月5日掲載