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「建築家として生きる」書評 業界のゲームの酷薄さ生々しく

評者: 戸邉秀明 / 朝⽇新聞掲載:2021年06月12日
建築家として生きる 職業としての建築家の社会学 (関西学院大学研究叢書) 著者:松村 淳 出版社:晃洋書房 ジャンル:技術・工学・農学

ISBN: 9784771034754
発売⽇: 2021/03/30
サイズ: 22cm/287,15p

「建築家として生きる」 [著]松村淳

 建築家と言えば丹下健三や安藤忠雄、近年では伊東豊雄や隈研吾の名がすぐに浮かぶ。ただし彼らは、自らをブランド化できた一握りの存在だ。では建築家を名乗る大多数は、どのような生き方を選んだ人々か。本書は、この未解明の「職業世界」に挑む。
 戦後、建築家たちは個性的・前衛的な住宅を設計し、芸術家のイメージを押し出した。高度成長期の需要増に支えられ、住宅メーカーとの差別化に成功する。その結果、彼らの信念や価値観が一種の規範となり、大学の建築学科を通じて再生産されていく。低賃金でも、将来のために設計事務所での修業に耐える。「やりがい搾取」の典型的な職場は、こうして生み出される。
 だが、誰もが独立に踏み出せるわけではない。不況が続くこの30年は、特にそうだ。下請け仕事に手を出さぬ矜持(きょうじ)を保ち、個性を活(い)かせる機会なら赤字覚悟で受注する。名を上げようとするほど、経済的な困難が深まるジレンマ。かつて建築家志望だった著者の分析は、業界のゲームの酷薄さと、それに執心する人々の生態を生々しく描く。
 さらに現在では、設計のコンピューター化が進み、建築家は手描き図面に宿る「職能の証(あかし)」を奪われ、単なる住宅商品の販売者と見なされている。専門職とクライアントの知識の格差を前提にした威信は、もはや通用しない。著者は、地方在住の建築家への聞き取りから、従来の建築家像がむしろ「足かせ」になっていて、「持続可能なものではない」と結論づける。
 禁じ手とされてきた施工もこなし、「まち医者的建築家」をめざす柔軟な若手が増えている。そこに可能性を見つつも、著者は決して楽観していない。人口減少で増える空き家や、テレワークによるオフィス需要の陰りなど、建築をめぐる課題に誰もが直面する時代になった。権威を脱ぎ捨てた先に、どんな建築の専門家が生まれるかは、私たちの未来に関わる重大事だ。
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まつむら・じゅん 関西学院大准教授(労働社会学、文化社会学、都市社会学、建築社会学)。2級建築士。