ISBN: 9784588490392
発売⽇: 2021/05/11
サイズ: 20cm/276p
「黄春明選集 溺死した老猫」 [著]黄春明
台湾全土を弾圧の嵐に巻き込みながら、語ることさえも長くタブーとされてきた「二・二八事件」を真っ向から描いた「悲情城市」が、ヴェネチア映画祭で金獅子賞を射とめたのは一九八九年。この時期、「台湾ニューシネマ」と称される一群の傑作が次々と誕生するのだが、このムーブメントの萌芽(ほうが)は一九八〇年代前半にある。
史上最長と言われる戒厳令が解除される前夜にあたるこの頃、台湾の若き映画人たちは、商品として消費されるがままの娯楽作品とは異なる路線を模索していた。その方法の一つが、良質な文芸作品を原作に用いて、自分たちが生きている社会や、語られずにいる歴史を描くことである。
その際、相次いで取り上げられたのが、「貧困や差別、環境破壊や自然災害にも翻弄(ほんろう)される台湾庶民の哀歓」を、台湾の土着の言葉である閩南(びんなん)語や客家(はっか)語の語彙(ごい)をも積極的に取り入れて、ユーモアたっぷりに書いてきた黄春明の小説だ。
のちに「悲情城市」を撮る若き日の侯孝賢(ホウ・シャオシェン)は、本書に収録の「坊やの人形」を監督するにあたって、原作者を尊敬していたから下手なものは作れなかったという。
黄春明は、一貫して、「どんなに美しいものでも、金を生み出さないものには何の価値もない」といった、いかに金儲(もう)けができるか、という「資本主義」のみが支配的な基準となりおおせている社会に批判的で、それに馴染(なじ)めぬ不器用な者たちの居場所を文学の中に求めた。
一九五六年発表の「道路清掃人夫の子供」をはじめ、日本ではほぼ初めて紹介される作品、二篇(へん)の充実したインタビューと講演録が収録された本書を読めば、台湾ニューシネマを牽引(けんいん)した映画人たちが、作家・黄春明を敬愛してやまない理由がよくわかる。
可笑(おか)しみ溢(あふ)れる台湾のリアリズムを、一九三五年生まれの著者よりもさらに七つ年長の訳者による日本語で読めるのも楽しい。
◇
ホワン・チュンミン 1935年、台湾生まれ。1962年、本書収録の「『城仔(チャンズ)』下車」で作家デビュー。