このたび拙著が第百六十五回直木賞をいただくことになった。――とそんな書き出しの小文を、すでに朝日新聞には寄稿したので、お読みくださった方は多いかもしれない。ただ、あちらは「受賞の感想を」と求められて書いたエッセイ。こちらは元々、毎日のつれづれがコンセプトだから、本欄の読者さんにはやはり改めて取りましたとご報告がしたい。
先輩作家がたには「忙しくなるよ」と言われていたが、新聞等から依頼される受賞エッセイの多さには本当に驚いた。他にもラジオにテレビ、インタビューの依頼と、自宅と仕事場を行き来する普段からは想像もつかぬあわただしさが一夜にして押し寄せた。コロナの影響もあり、これでも今回は静かな方と言われたから、過去の受賞者は文字通り嵐の如(ごと)き日々を送ったのだなと二度驚いた。
かつて私が小説を書き始めた頃、仲のいい先輩と、「もし直木賞を取ったら、祇園の一力に連れて行ってくれよ」「いいですよ。任せてください」というやり取りをした。一力とは京都・祇園屈指の格を誇るお茶屋。歌舞伎「仮名手本忠臣蔵」で主人公が豪遊した店として登場し、今も四条通と花見小路の角に紅殻(べんがら)塗の赤壁を連ねる老舗だ。
当時の私は駆け出しで、正直、誰も直木賞を受賞する日が来るとは思っていなかった。それだけに先日、先輩から電話がかかってきて、「……取ってしもたなあ」「取っちゃいましたねえ」と言い合った。
「昔、一力って言った奴、あれは冗談やからな」
「ええ、わかってますよ」
「けどまあ本当に取るとはなあ。下手な軽口を叩(たた)くもんやないなあ」
結局その先輩とは、このコロナ禍が落ち着いたらビヤホールに行こう、ということで話がまとまった。夢は確かに大きいほうがいい。しかし現実の暮らしは、身の丈に合った方がいいというものだ。
直木賞という名前の重さにまだ時々驚きながらも、私は少しずつ日常への帰路につき始めている。=朝日新聞2021年8月18日掲載