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「ブラック・チェンバー・ミュージック」書評 真と偽ないまぜのダイナミズム

評者: 江南亜美子 / 朝⽇新聞掲載:2021年08月21日
ブラック・チェンバー・ミュージック 著者:阿部 和重 出版社:毎日新聞出版 ジャンル:小説

ISBN: 9784620108544
発売⽇: 2021/06/21
サイズ: 20cm/478p

「ブラック・チェンバー・ミュージック」 [著]阿部和重

 アラン・ポーの「盗まれた手紙」以来、失われた文書の発見は、ミステリー小説の王道的な筋書きのひとつである。本書では、カリスマ探偵にはほど遠い、むしろ華のない男が、腐れ縁のヤクザからある映画評論の記事を探し出せとのミッションを受ける。傍らには黒マスクの女。彼女は北朝鮮の使者とされ、記事は国家機密に関わるらしい。
 解かれるべき謎が姿を現せば物語はいよいよ動き出す。男は便宜上「ハナコ」と名付けた物言わぬその女性を連れ、映画研究者の元や、映画に強い神田の古書店を訪ねて回る。わずか3日の日切りは容赦なく過ぎ、ヤクザ者からハナコ殺害を予告されたり、抗争に巻き込まれて拷問を受けたり。あげく北朝鮮へハナコを帰還させようと夜の日本海に船出もする。男がその都度、状況変化に巻きこまれて右往左往するさまは、さながら大活劇だ。そしてハナコへの恋情という副産物も物語を彩る。
 一方読者には、別の物語の脈動も知らされる。トランプ大統領(当時)の私生児を自称する男が、映画評論を模した暗号文書を携え北朝鮮にコンタクトしてきた。それは、2018年シンガポールで実現した世紀の米朝首脳会談の半年後のこと。この暗号文書の真偽やいかに、というものだ。
 いかにもなフィクション的要素と史実を接続、融合させるのが阿部和重の面目躍如。評論にはヒッチコックの遺作をめぐり、ホンモノ対ニセモノの構図における「ニセモノ的存在の勝利」を指摘する一節があるようなのだが、この真と偽、虚と実がないまぜになる危うさとダイナミズムは、本書を終始、貫いている。
 個人発信の動画とニュースが玉石混交にあるインターネット空間に依存気味に生きる私たちは、ポスト・トゥルースや陰謀説にさらされている。いつ騙(だま)されても不思議でない状況を、小説内部から皮肉り、エンターテイメントに仕立てたのが本書といえる。痛快だ。
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あべ・かずしげ 1968年生まれ。小説家。『シンセミア』『グランド・フィナーレ』『オーガ(ニ)ズム』など。