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「八木義徳 野口冨士男 往復書簡」書評 もう一人の私と向き合った40年

評者: 保阪正康 / 朝⽇新聞掲載:2021年08月28日
八木義徳 野口冨士男往復書簡集 著者:八木 義徳 出版社:田畑書店 ジャンル:日本の小説・文学

ISBN: 9784803803839
発売⽇: 2021/06/03
サイズ: 22cm/390p

「八木義徳 野口冨士男 往復書簡」 [編]平井一麥、土合弘光ほか

 哲学者、思想家、作家らの間で交わされる往復書簡は、学問上の基礎文献になることがある。パスカルとフェルマーの書簡が、確率論の基礎になったようにだ。本書にもそれに類する部分がある。同年(明治44年)生まれの作家の作風は、野口が私小説的傾向を持つのに対し、八木には青年期に左翼運動に転じた社会派的な肌合いがある。
 2人は戦後に同人誌仲間として交流を深め、折々に手紙の往復を重ねることになった。平成5(1993)年までの40年余りの間の往復書簡を文学館の関係者らがまとめたのが本書だ。作家が年齢とともにどのような心境になるか、あるいは文学状況の変化、さらには作家としての野心や作品への自負。2人の手紙には、正直に本音のままにその心理が明かされる。
 お互いに相手の作品に、友人として許容される範囲で、鋭い批判や疑問もぶつける。八木は野口のある作品に「歯がゆさ」を感じ、これは作家としての気が入っていない物足りなさだ、と長文の手紙で感想を書くのである。野口は「八木義徳健在なり」と書いたあと、小説「恵山岬」への注文を書く。さらに2人の手紙には健康、病との闘い、編集者との交流、旅をしての感想がつづられる。とにかくよく報告し、社会の動きなども伝え合っている。
 読み進むうちに、これは単なる作家の書簡ではない、と気がつく。「解説」の平山周吉も挙げているが、2人とも家計のやりくりに苦労し、晩年のある時期からは家人の重い病気と向き合いながら、生と死についての内容も増えてくる。友情とか作家どうしの心情吐露を超え、互いに依存し助け合っている姿が浮かんでくる。
 そのことを理解した時、私は40年以上も書簡の交換を続けた2人には、同年のものにしかわからない精神の変化があり、相手の中に自分の姿を確認しているのだろうと思えてきた。貴重な教えを含んだ書である。
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平井氏は野口の長男。1940年生まれ。埼玉県越谷市立図書館内の「野口冨士男文庫」運営委員会委員。