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「ろくでなしだった」こがらし輪音さんの心の支えだったおばあちゃん

©GettyImages

 今年の5月に大好きだったおばあちゃんが亡くなりました。88歳でした。私にとっては初めての身内の死でした。

 おばあちゃんはいつでも私たち孫のことを笑顔で迎えてくれて、美味しい料理をたくさん振る舞ってくれました。父方の祖母なので母にとっては姑に当たるのですが、よく聞く嫁姑の不仲も全く無く、家族全員おばあちゃんのことが大好きでした。煮物のレシピ、私も教えてもらっておけばよかったな。

 死因は老衰ということでしたが、直前に糖尿病による脚部の切断を担当医から打診されていたそうで、それがショックで命を落としてしまったのではないかと思っています。とはいえ私にはドクターを責める気にはとてもなれません。おばあちゃんが少しでも長く生きるにはそれしか手段がなくて、だから反発を承知で切断手術を提案するしかなかったんですよね。おばあちゃんも、生まれてからずっと一緒だった自分の脚が無くなるのは怖かったよね。長生きして欲しかったのはその通りですが、じゃあ私が同じ状況になったとしたら、素直に手術を受け入れられたと断言することはできません。死の際のおばあちゃんの心境を思うと複雑なものがありますが、死因がコロナではなかったため、ちゃんとお葬式を挙げてお見送りしてあげられたのはせめてもの救いです。

 ひねくれ者の私が曲がりなりにも社会の一員に成れたのは、おばあちゃんの影響が大きいと思っています。正直なところ、私は自己評価が物凄く低いので、自分の人生で自分がどんな目に遭っても構わないと思っている節があります。だけど、優しいおばあちゃんを悲しませることだけは絶対にしたくありませんでした。耐え難い怒りや悲しみや絶望感に苛まれたことは幾度となくありましたが、ろくでなしの私を人間としての最後の一線に引き留めてくれたのは、いつだっておばあちゃんの存在でした。肉親にそういう人が居てくれたことは、人としてすごく幸せなことだと思っています。

 「人はいずれ死ぬ」と、いくら世界の真理のように言ってみても、遺族にとっては彼らの存在が全てです。創作者は物語上において人の生死を自由に操作できる存在ですが、だからこそ現実における死の重みを常に意識しなければならないと思います。たとえ架空の存在であろうと、彼らにも産みや育ての家族が居て、物語に干渉するまでの人生が存在していたわけですから。創作者がひとたびそれを軽視してしまえば、受け手も自らの人生を軽く捉え、最悪の場合は一線を越えてしまうのではないか……少々大袈裟かもしれませんが、創作物に人生を変えられた私は本気でそう思ってしまうのです。

 おばあちゃんには結局、私が小説を書いていることは話せず終いで、そのことが今でも心残りになっています。おばあちゃんはきっと笑顔で褒めてくれたとは思うけど、小説家なんて不安定な仕事をしていることを知ったら、先行きについて余計な心配をかけてしまっていたかもしれない。どちらが正解だったのか私には分かりません。今となってはもう取り返しが付かないけど、せめてあの世で土産話にできるくらいの作家にはなりたいですね。おばあちゃん、あなたの孫は今日も元気に生きています。