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菅義偉首相退陣と官邸主導 政官の歪み、コロナ禍で露呈 一橋大学教授・中北浩爾

新型コロナウイルス感染症対策本部に出席した菅首相=8月17日、首相官邸

 菅義偉首相が事実上の退陣表明を余儀なくされた最大の理由は、政府の新型コロナウイルス対策への国民の強い不満である。病床や宿泊施設の確保が進まず、多くの人々が自宅療養を強いられ、亡くなる人も出ている。振り返れば、この四半世紀の間、様々な制度改革が実施され、首相の権力が強められてきた。コロナ禍でこそ、官邸主導が十分な効果を発揮してもよかったのではないか。

 政治学者の竹中治堅(はるかた)は『コロナ危機の政治』(中公新書・1078円)で官邸主導の限界を指摘する。政府のコロナ対策がうまくいかない原因は、病院や保健所などのキャパシティー(処理能力)の不足とともに、首相の権力を強化する政治・行政改革と整合性を欠く形で、地方分権改革が進められた結果、国と地方自治体の足並みが揃(そろ)いにくいためであるという。

 逆に、強すぎる首相の権力が生み出す歪(ゆが)みを強調するのが、朝日新聞取材班『自壊する官邸』(朝日新書・825円)である。本紙の連載「未完の最長政権」をまとめた同書では、人事を首相官邸に握られた各省庁の官僚たちが萎縮し、コロナ対策を含めて新たな政策アイデアを出さなくなったことが、数々の証言を通じて描かれる。安倍晋三政権で官房長官として官僚人事を差配したのは菅首相であり、現在も官僚の萎縮が続いていることが示唆される。

役割分担の欠如

 元財務官僚の田中秀明の『官僚たちの冬』も、誤った政治主導の結果、官僚の自律性が低下し、政府全体のパフォーマンスやガバナンスの低下につながっていると批判する。本書によると、萎縮や忖度(そんたく)の根源には、これまでも官僚が政治家に代わって政治的調整を行うなど「政治化」し、「専門性」が疎(おろそ)かになってきたことがある。つまり、政と官の適切な役割分担が欠如しているのである。

 田中のいう官僚の「政治化」は、首相官邸に勤務する官庁からの出向者あるいは元官僚が、政治家ばりに官邸主導を担うという歪(いびつ)な現象を生み出した。森功『官邸官僚』(文芸春秋・1760円)は、第二次安倍政権の下、権力者たる首相や官房長官の分身として、その意思を各省庁に伝え、強力な統制を加えた異形の官僚出身者たちの姿を赤裸々に描く。

 だが、当の官邸官僚の見方は、逆である。外務省出身で内閣官房副長官補・国家安全保障局次長を務めた兼原信克の『安全保障戦略』によると、政と官の結節点の首相官邸で、「一寸先は闇」という緊張感に満ちた政権を必死に支えるのが、官邸官僚の役割である。そして、いまだに首相官邸の危機管理体制は不十分であり、それがコロナ禍でも露呈したという。

説明の力乏しく

 昨年10月に刊行された『新型コロナ対応・民間臨時調査会 調査・検証報告書』は、安倍政権のコロナ対応について、官邸主導の功罪をバランスよく記述する。成功例として武漢からの邦人救出、失敗例として学校の一斉休校と「アベノマスク」の配布を挙げた上で、関係する省庁や専門家、国民などに対して事後的にでも丁寧な説明を行い、協力を求めることが不可欠であったと指摘する。重要なのは、コミュニケーション能力なのである。

 官邸主導は、高性能のスポーツカーに喩(たと)えられる。高速移動を可能にする一方、少しでも運転を誤れば、人を傷つける凶器になる。車のスピードが出すぎるとか、まだ不十分とかいった議論も大切だが、何よりもドライバーの高い能力が要求される。来たる自民党総裁選と衆議院総選挙は、この国のドライバーたる首相を選ぶ貴重な機会である。しっかり見極めたい。=朝日新聞2021年9月18日掲載