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あの本をなぜ紹介できなかったのか 朝日新聞文芸担当記者が語り尽くす第2回「とっておきすぎ読書会」前編

半年以上、「放置」してしまった本たち

山崎 いずれ紹介したいと思っていたけれど、紹介できないまま刊行から半年以上が経ってしまった本を総まくりする「とっておきすぎ読書会」、半年ぶりの第2弾です。
中村 この企画を「とっておきすぎ」てますね(笑)
山崎 読書会の流れとしては、どうやってその本を知ったのか、なぜ紹介しそびれたのかをおさえたうえで、それぞれグッときたポイントを話して、わちゃわちゃしたいと思います。ということで、まずは私から。『植物園の世紀 イギリス帝国の植物政策』です。

川島昭夫『植物園の世紀 イギリス帝国の植物政策』(共和国)

野波 タイトルからしておもしろそうだよね。
山崎 これは書店を巡回中に見つけました。
中村 どういう棚で?
山崎 人文書の棚です。すてきな装丁に目を引かれて手に取った。読んでおもしろかったんですけど、どうにもできなかったのは、著者が刊行に間に合わず、ご病気で亡くなってしまっているんです。ゼミ出身のお弟子さんが編集作業を引き継いで本になっている。こういうのって難しいじゃないですか。
野波 難しいね。書評にはなるかもしれないけど、インタビューはね。ところで、誰なんですか?亡くなった方は。

山崎 私もぜんぜん知らない人だったんですけど、京都大学名誉教授で、専門は西洋史。なかでもイギリス近代史を研究していた方だそうです。
中村 植物ではなくて植物園の歴史なんですか。
山崎 そうなんです。何がグッときたかというと、魅惑のフレーズがあって。第一章のタイトルが「植物帝国主義」。
中村 (笑)
山崎 いいでしょう?
野波 うん、うん。
山崎 植物帝国主義とは何か。引用します。〈植物資源を安定して獲得するために、国家がおもてにたち、植物を支配・独占し、さらに植物が生長するのに必要な時間、土地を支配・管理し、さらには植物の環境にはたらきかける労働力を支配・管理するあらゆる意図的な試みをいう〉と。いまは服も石油繊維ですが、昔はぜんぶ植物が原料だったから、植物をおさえたものがこの世を制するという世界だった。
野波 綿花のプランテーションとか、そういう話になっていくわけだね。観賞植物を愛でるような植物園の歴史かと思っていたら、もっと生臭い、原料としての植物園みたいなところなんだ。
山崎 植物園にはルーツがふたつあって、ひとつは貴族が観賞のために自分の土地に珍しい植物を植えて愛でるもの。で、もうひとつがプランテーションなんですよね。植民地でプランテーションをするんだけど、生育環境が異なるから、現地で育つのかとか、母国に持ち帰っても育つのかとか、実験栽培をするために植民地に植物園を作るわけです。それを「植民地植物園」というらしい。それと本国の植物園とをネットワークで結んで、プラント・ハンターとかにあちこち行かせて苗とかを集めさせたり。あと、プランテーションで働かせている奴隷に食べさせるために、パンの木という、パンみたいな食感がする謎の木をひたすら植えるんだみたいなことをやったり。
野波 パンの木は「ドラえもん」にも出てくるね。
山崎 で、最初にそうやって植物を運んだのが、かのコロンブスだということなんです。新大陸から持ち帰った。
野波 ジャガイモを持って帰ってきたのってコロンブスだっけ。
山崎 そうです。トウモロコシとかも。それは「コロンブスの交換」と言われていると。
中村 へー(笑)
山崎 ヨーロッパの人たちは熱帯の植物を見たことがなかったから、あれはなんだといって興味を持った。染料とか、香辛料とか。そういったものをおさえて帝国を拡大しようとした。グローバル経済の論理ですよね。
中村 そう聞くと、ただのあやしそうな本ではなくて、しっかりとした世界システムを語ろうとしている器の大きな本であるとわかりますね。
山崎 植物帝国主義というのは、植物の側に立てば、人類の営みによって地球上の生息範囲を拡大していったということになるんです。その感じが、いまの新型コロナウイルスにもつながるかなと。グローバル経済がウイルスを地球上にばらまいてるじゃないですか。それと同じように、植物もまた人間の手によって広がってきたんですよと。
野波 いかにも書評になりそうなのに……。
中村 かなしいですね、「はじめに――著者に代わって」とあるのが。
山崎 さっきのパンの木の話でおもしろいのは、奴隷に食べさせようと思ってパンの木を一生懸命運ぶんですけど、結局、奴隷は見向きもしないんですね。
野波 食べないんだ。
山崎 そう、ほかのもののほうがおいしいから。
中村 みんなヤムイモを食べたと書いてありますね。〈飢餓のなかでさえ、食習慣や味覚は容易には変わらない、ということだろうか〉。先生の私怨が入っていて、いいですね(笑)
山崎 いいんですよ。人類史の皮肉を感じます。

エイドリアン・セビル『西洋アンティーク・ボードゲーム 19世紀に愛された遊びの世界』(鍋倉僚介訳、日経ナショナルジオグラフィック社)

野波 次の本につながりそうな気がしてきました。私が持ってきたのは、『西洋アンティーク・ボードゲーム 19世紀に愛された遊びの世界』です。まず、なぜ知ったのか。僕自身がボードゲーム好きで界隈のツイートを拾っているので、そこで出てきておもしろそうだなと思って手にしました。帯文が翻訳家・文芸評論家の鴻巣友季子さん。どういういきさつで鴻巣さんが帯を書いたのかはわからないんだけど。
中村 気になりますね。訳者と付き合いがあったとか?

野波 中身を簡単に。ボードゲームといっても、これに載ってるのはほとんどがすごろくです。今でも遊ばれている「モノポリー」や「人生ゲーム」も、マス目ごとに「1回休む」とか「スタートに戻る」とかの指示がありますよね。16世紀に生まれた〈がちょうのゲーム〉というすごろくがあって、それが19世紀に印刷とかが豪華になって、メディアとしての役目を果たすようになったというようなことが書いてあります。わかりやすいのは、宣伝に使われるわけです。商品紹介とか、歴史学習とか。19世紀はフランスなどでころころ政体が変わるじゃないですか。政体が変わると、自分のところが正当であると証明する必要がある。その説明をすごろくにしているから、遊んでいるうちに順を追って学べると。ガチで読むというよりは眺めて楽しむ感じの本ですね。
中村 カギカッコ付きの「歴史」を教える教材だということですね。
野波 これなんか〈ドレフュス事件とその真実〉だからね、タイトルが。
中村 真実にたどりつく。ほんとうに?(笑)
山崎 それぞれのマスが事件に関係する何かなんでしょうね。
野波 広告宣伝だとこれ、〈バンホーテンココアのゲーム〉。これをやったことでココアを飲みたくなるかどうかはわからないんだけど。
中村 チ・ヨ・コ・レ・イ・トみたいな感じでバ・ン・ホ・ー・テ・ンと進んでいきますね。
山崎 ほんとだ。
野波 あと、アメリカ大陸がまだよくわからなかったときの〈アメリカ大陸周遊〉とか。家にいながらにしてロンドン見物できますよ、みたいなのとか。
中村 コロナ禍にぴったりの。
山崎 空想散歩。
野波 すごろく自体は古代の中国とかエジプトとかからあるわけだけど、〈がちょうのゲーム〉のバリエーションが19世紀には西洋でいっぱいありました、ということですね。
山崎 アンティークのデザインがすごくいいです。
野波 デザイン面からも楽しめるし、当時のヨーロッパがどういうことをしていたのかがわかる歴史のメディアでもあるし。
山崎 しかしボードゲームの現物はお高いんでしょうね。
野波 高いだろうねえ。「これは私が持っているものだが、よくわからない」といった趣旨の筆者の文章が何カ所か出てきます。
山崎 筆者は何者なんですか?コレクター?
野波 研究家みたいよ。コレクターでもあるんだろうね、もちろん。
山崎 コロナ禍のステイホームでゲーム「桃太郎電鉄」がすごく売れたじゃないですか。桃鉄もいってみれば、すごろく型ボードゲームの進化形ですよね。
中村 いまパラパラしていて〈じゃがいものゲーム〉というのを見つけました。ジャガイモの栽培がゲームになるって考えたことありますか?
野波 ないですね。あ!
山崎 それこそ『植物園の世紀』ですよ!
中村 そうですね!
山崎 ジャガイモが新しい食物として来たからだ、新大陸から。
野波 つながった、つながった(笑)。やっぱりイモだ。
中村 そういえばさっき、植物のおかしな話をさんざん聞かされた(笑)。ジャガイモのゲームは簡単そうで、もうちょっと考えようよって感じがしませんか。
野波 ほかは60マスぐらいあるのに、これは23マスで終わっている。
中村 やっぱりジャガイモでたくさんのマスは作れなかったんですよ。ジャガイモ栽培でゲームをしようっていう発想がすごいですよね。
山崎 いまボードゲームといえば、本当にいろんなものがあるじゃないですか。ブロック系とか。この本は、あえてすごろく系のものばっかりを集めたんですか?それとも19世紀の西洋ではすごろく系が主だった?
野波 もちろんチェスやトランプはあったけど、「ボード」ゲームでいえば、すごろく系のものぐらいしかなかったんじゃないかなあ。あとはルーレットのように「賭ける」ためのボードとか。20世紀になるといろんなボードゲームが出てきますが、それらを知りたい人にはこちら。『ゲームメカニクス大全 ボードゲームに学ぶ「おもしろさ」の仕掛け』(翔泳社)。
山崎 それはいつ出た本ですか?
野波 2020年10月。読み始めると仕事にならないぐらい情報量が詰まった、まさに「大全」。「対戦」「協力」といったゲームの構造から、勝ち負けを決する「勝利点」のパターンなどが細かく分類されていて、そのメカニズムを使ったボードゲームも紹介されている。
山崎 傾向としては、どんどん複雑になっていくんですか。
野波 より戦略性を高めるために、いろんなルールが付加されていくというのはあるね。たとえば、メインのボードがあって、周りにサブボードがあるみたいなゲームがあったりとか。
山崎 それは結構たいへんなやつですね。
野波 複雑になっていくから説明するのもなかなか難しい。すみません、私ひとりで話し始めてしまって(笑)
中村 口をはさめませんでした。この間の私は「……」をいくつか入れてもらえれば(笑)。それにしても序論の書き出しが〈卓上ゲーマーにとって今ほどよい時代はないだろう〉。もうこの一言で私は置いてけぼりです。ぜんぜんわかんない。
山崎 これは力作ですね……。僕はスポーツ音痴だから、東京五輪・パラリンピックの種目の多さと、競技のルールのわからなさにめまいがしたんですけど、それに似てる。
野波 そういう感じだよね、たぶん。
中村 もう言い残すことはないですか?
野波 しゃべり始めると徹夜になっちゃうからね。

ファン・ジョンウン『ディディの傘』(斎藤真理子訳、亜紀書房)

中村 今回初参加です。お二人と比べてミーハーな自分が入り込むのもいいだろうと思って参加しています。とはいえ、あまり知られていない本を持ってきたつもり。それが、ファン・ジョンウン『ディディの傘』。韓国文学といえば、チョ・ナムジュ『82年生まれ、キム・ジヨン』(斎藤真理子訳、筑摩書房)のヒットによって、日本での市民権を得た感じがありますが、その数年前から訳者の斎藤真理子さんらの功績で良い本が続々と出ていた。ファン・ジョンウンをどうして知ったかというと、2018年に読書面で『野蛮なアリスさん』(斎藤真理子訳、河出書房新社)をアメリカ文学者の都甲幸治さんが書評してくださって、そのときに読みました。女装したホームレスの少年のディストピア。文章が切実で、語りに力がある作家です。ファン・ジョンウンはこの時、来日したんですよ。書店でのイベントを見に行きました。ずっとうつむいていて、小さな声で。言葉は強いのに、折れてしまいそうな人。それは彼女が書いている小説にも重なると思いました。

セウォル号事件の後、あまりの悲劇に韓国の作家は沈黙してしまったそうです。書けない数年を経て彼女が発表したのが『ディディの傘』。帯にもセウォル号事件を背景に、とあるんだけど、船の話は出て来なくて、dとddのふたりが一緒に暮らしている。ある日、バス事故でddが死んでしまうという話です。
山崎 バス事故に変わっているんですね。
中村 突然大切な人を亡くしたdかddか……読んでいくと、どっちがどっちかわからなくなるんです。それもすごく効果的なの。
野波 両方とも女性なの?
中村 生き残った方は男性で、死んだ恋人はどちらかはっきりしていない。映画「パラサイト 半地下の家族」のような部屋に住んでいて、大切な人が突然帰ってこなくなり、部屋に閉じこもる。通りを人が歩いていく足元だけを見ている。そんな日々に、近くの婆さんが長すぎる昔話とともにお餅を差し出す。それで外の世界へ出て行けるという話です。実際にあった出来事をどうやって文学が受け止めるかにずっと興味があって、もうひとつ持ってきたのが、ハン・ガン『少年が来る』(井手俊作訳、クオン)。光州事件をもとにした、芥川龍之介「籔の中」のような形式の小説です。亡くなった少年も一人称で出てきます。
東日本大震災後に小説が変わるかもしれないと考えているなかで、隣の国の女性作家たちが挑戦的なことをやっている。韓国文学はいい本がどんどん出るんだけれども、ここまで多くなるとどう紹介したらいいかわからないなと思っています。
山崎 ほんと、多いですよね。
中村 韓国文学の一番のお勧めはハン・ガン『菜食主義者』(きむ ふな訳、クオン)。圧倒的にすばらしく、ノーベル文学賞を取ってくれたらいいなと心から思っています。
野波 ハン・ガンって何歳くらいなの?
中村 1970年生まれ。まだ若いですよね。韓国の作家の言葉って全体的に強いですね。
山崎 なぜでしょうね。僕もハン・ガンは『すべての、白いものたちの』(斎藤真理子訳、河出書房新社)を好きでよく読んでいますが。
中村 詩ですよね、完全に。
野波 セウォル号事件でみんな黙っちゃったというのは、日本の3・11と同じで、その瞬間で何か動くよりも、とりあえず受け止める時間がほしいという意味なのかな。
中村 言葉を失ったという感じですよね。カギカッコ付きだけど、小説って役に立たないじゃないですか。精神的に落ちこんで、そこからどうはい上がるか。やっぱり書くことなんだなと思いました。
山崎 ファン・ジョンウンはどれぐらいのキャリアの人なんですか。
中村 1976年生まれ。(著者近影を見せながら)ほら、うつむいているでしょう。
山崎 中堅ぐらいの人なんですかね、現地では。
中村 日本だと川上未映子さんとか、そういうイメージだと思いますけど。
野波 『82年生まれ、キム・ジヨン』はたしかにいい作品だったかもしれないけど、「『キム・ジヨン』とその周辺の韓国文学たち」になりすぎちゃったよね。
中村 韓国文学イコールフェミニズム小説みたいになっちゃって。売れると同じ傾向のものを翻訳しようと思うからなんでしょうけれど。
野波 その前から韓国の現代文学が面白くなっているぞというのは文学村のなかではみんな言ってて。ゼロ年代からあったような気がするけど。どうなんだろうね、あれが代表選手みたいなことになったことに対して、韓国文学ファンのあいだでは。
中村 最初の入り口としては正しいのでは。「キム・ジヨン」の著者は次にまったくちがう小説を出して、それもちゃんと邦訳が出ましたから。
山崎 韓国文学の邦訳って、女性作家が多いですよね。どうしてなんだろう。
野波 昔は韓国は詩に重きが置かれる国と言われていたけれど、男性は小説なんか書かずに詩を書いているのかしら。どこか散文を下に見ているというか。
中村 2019年に邦訳『モンスーン』(姜信子訳、白水社)が出たピョン・ヘヨンに取材したとき、彼女から、日本で翻訳される韓国文学は30~40代の女性作家が中心ですけど、それは韓国の現状がそのまま反映されていると聞きました。韓国では数々の文学賞を女性が占めています。
山崎 そもそも本国で多いわけですね。
中村 乱暴な言い方ですが、抑圧から良い文学は生まれると思います。
野波 男性作家が何をしているのかはわからないままだけど、突然このブームが出てきた感はあるよね。
山崎 国が後押しして、文化として輸出しようとしているのは明らかですけど。
中村 日本の文化庁と韓国文学翻訳院のちがいですかね。
野波 それにしても性差があるようにみえる。このあたりを一度、きちんと取材して書きたいですね。記事にできないまま、作品がときおり書評で紹介されてるだけだから。

山崎 たくさん出てますよね。新作を追いかけるだけでもたいへんだなあと。
中村 私は、斎藤真理子さんがこの世に3人いると思ってるんですけど(笑)
野波 さっきの韓国の文化輸出についていえば、90年代の終わりに韓国に取材に行ったときに、ダンスミュージックやアニメやマンガといった、ポップカルチャーのいろんな分野で、どれが輸出できるのか、どこに国として力を入れるべきなのかを模索する取り組みが始まっていた。音楽はBTSを筆頭に大成功するんだけど、アニメはうまくいっている感じがしない。でも、そのときに文学を輸出しようという話は聞かなかった。
中村 翻訳家たちが立ち上げた日本翻訳大賞は、1回目(15年)の受賞作がパク・ミンギュ『カステラ』(ヒョン・ジェフン、斎藤真理子訳、クレイン)。そこから風が変わったのかなと。
野波 それは日本での受容だから、その数年前から韓国では何かが起きていたんだろうね。
中村 たぶん仕掛けていた。言葉の壁があるから自然のままでは広がらないですよね。日本文学も仕掛け人がいないと、英語に翻訳されて海外の出版社には広がらない。
山崎 でも、結果として出てくるものはいい作品が多いですよね。それがすごいなと。
野波 なんとなく話がつながったね。国際化のなかでの文化受容といった感じの。
中村 ほんと?
山崎 植物園とボードゲームと韓国文学……。
中村 いいですよ、無理につなげなくても(笑)

>第2回「とっておきすぎ読書会」後編はこちら

*公開後、一部表現を改めました