笙野頼子『猫沼』(ステュディオ・パラボリカ)
山崎 2巡目に行きましょう。笙野頼子さんの『猫沼』です。
野波 これもタイトルからしていい。
山崎 すごかったです。私小説の真骨頂だし、猫文学の金字塔になると信じて疑わない。
野波(猫好き) これは読まねば。
山崎 ざっくり紹介すると、拾ってきた猫のために一軒家を買った私小説家の〈私〉が主人公です。印旛沼のそばに家を買って、そこに拾ってきた猫たちと一緒に暮らしていたんだけれど、生活は優雅というわけではなくて、ローンを払って猫を養うのが生活費の大半だという。しかもリウマチ系の難病を患った〈私〉が、やっとこさ猫と一緒に生きているという前提がある。過去に何匹も猫を拾って飼ってきたんだけれども、この小説の現在は、いったん拾ってきた猫たちすべてと死に別れて、その後で猫シェルターから老猫の〈ピジョン〉をもらい受けて一緒に住んでいるところです。
野波 一匹になっちゃう。
山崎 そんな現在なんだけど、過去の猫たちとの幸せだった暮らしとか別れとかを回想していくんです。
野波 聞くだに泣けますね。絶対読もう。
山崎 次々に看取っていくんだけど、ピジョンの前に最後の猫だと思っていた〈ギドウ〉という猫がいて、その別れの描写がすごい。引用しますね。〈ギドウと別れてしまった最初の頃、下に火の燃える砂漠があって、真っ暗な崖を歩いていた。気がつくといつかそうなっていた。悲しい理由とかそんなものはない。いきなり地獄になっていて、蛍光灯の灯だけが寒々とある夜に、要するになにもかもなくなっている。横になっている腕と肩に、「いない」という感触が忍び込んで、ただただ心臓をつぶしていく、いない、地獄、いない、地獄、こうなるとこの世には、最初から風光などない〉。これが日常と地続きで書かれている。
野波 寂寞たる心象風景……。
山崎 僕はロマン派を自認しているし、私小説が好きといえるような読み手ではないんですけれど、そんな僕ですら、この作品の前には膝を折りました。あまりにもすごすぎて。それで、私小説を読むときに僕たちは何を読んでいるのかを考えさせられたんです。この本ではラストのほうでピジョンが手術をすることになります。で、〈この手術代を払うためとその月の住宅ローンを引き落とすために、猫沼初版の印税を前倒しした。版元に感謝する〉とあるんですね。
中村 印税の前倒しはすごい(笑)。版元はどこなの?
山崎 ステュディオ・パラボリカです。そうか、私小説を読んでいて感動するのは、その作家の覚悟であり、業なんだと思いました。そこに一番、くるものがある。
野波 とても好意的に受け止めているけど、私小説を読んでいておもしろいのは、金策の話ですよね。酒を飲むための金をどうやって調達するのか、とか。あなたの感動には申し訳ないけれども、金策は一番おもしろい。
山崎 ややこしい自我と業によって、〈猫沼〉に引きずり込まれていく。でも、幸せなんですよね、猫たちと暮らしているあいだは。じつは、笙野さんはずっと猫を書いてきました。『笙野頼子三冠小説集』(河出文庫)という本がありまして、野間文芸新人賞、三島由紀夫賞、芥川龍之介賞と、純文学の新人賞を総なめにしたときの3作品がまとまっているんですけれども、これを改めて読むと、芥川賞の「タイムスリップ・コンビナート」と三島賞の「二百回忌」には、ともに猫が出てくる。生粋の猫小説家なわけです。
中村 それなのに、どうしてとっておきすぎたんですか?
山崎 著者インタビューをお願いしようと思って、依頼のメールを書くところまではいったんですよ。でも、途中でハッと気がついたんです。聞くべきことが何もない。
中村&野波 (笑)
山崎 で、断念しました。
野波 いわゆる、ただ読めばいいのだ、というやつですね。
中村 書評とかも出なかったですね。
山崎 ちなみにこれ、初版限定で猫たちのミニ写真集がついてます。
中村 猫を描く小説家といえば、保坂和志さん。最近はただただ猫のことしか書いてない。
野波 うまいよね~。
山崎 最近作は『猫がこなくなった』(文芸春秋)でしたっけ。
中村 そう、でも読んだら、猫はいますね。
山崎 出たのが『猫沼』と同じ時期なんですよ。
中村 笙野さんや保坂さんぐらいのベテランになって、ただただ猫を書いているという作家は本当に自由だなと思いますね。
『石川淳随筆集』(澁澤龍彦編、平凡社ライブラリー)
野波 私の2巡目、平凡社ライブラリーから出た『石川淳随筆集』。後で話すことと関係するので、あえてブックカバーをつけたまま、持ってきました。澁澤龍彦編というのがまず注目かなと。石川と澁澤って、どのへんに共通点があるのかなと。お二人は、石川淳はどうですか。
山崎 あまり読んでいないですね。
中村 文芸時評欄の担当編集者になったとき、文芸時評をすごく自由にやっていた人だから、『文林通信』(講談社文芸文庫)を読むべきだ、と言われたことがあります。
野波 高橋源一郎さんが朝日新聞の文芸時評を担当した時にかなり自由にやって話題になった。高橋さんは石川淳をお好きで、以前お話をしたときに「私は石川淳がやったように自由にやりたかった」と。同じスタイルでというよりも、文芸時評のあり方をもっと自由にという意味だと思うけど。
中村 どう自由だったんでしたっけ。
野波 たとえば、単行本1冊だけしか取り上げないとか。
中村 時評じゃないじゃん。
野波 書評みたいなんだけど、その本をだしにした文明時評のような文章になっていく。文芸時評でないかもしれないけど、時評ではあったかと。直近の文芸誌のなかから注目作を何点かあげて、順番に評していくようなスタイルからは自由だった。安吾や太宰らと同じ、無頼派と呼ばれる作家なんだけど、小説やエッセーを読むと、アナキストと保守が同居した鵺(ぬえ)みたいな文学者の印象があります。僕の最初の石川淳体験は大学時代で、彼が1987年に亡くなったとき、文庫で『狂風記』(集英社文庫)を読んだ。ハチャメチャな伝奇小説ですが、これがおもしろかった。
で、この随筆集は、石川の号である「夷斎」を冠したエッセー集から澁澤が20編を厳選した本です。昔から「和漢洋に通暁した人」というのに弱くて、いま「和洋」はいても、「漢」まで含めてという人はいないじゃない。たとえば、冒頭の「面貌について」。澁澤の解説によると〈おしゃれの理想と散文の理想とが一直線につながっている〉こと書いた文章なんだけど、和漢洋ぶりは、こんなところに表れてます。〈明清の詩人の礼法は魏晋清言の徒の仁誕には似ない。その生活の建前から言えば、むしろ西欧のエピキュリアンというものに他人の空似ぐらいには似ている〉。最近でも石川の文章は大学試験で出てるみたいだけど、これ、今の高校生が読めるのかな。
山崎 もう失われてしまった文章ですね。
野波 なんでこれを持ってきたかというと、平凡社ライブラリーの話をしたかったんですね。読書面を担当したことのある中村さんに聞きたいんだけど、これって、文庫なの新書なの叢書なの?
中村 一般的な文庫より背が少し高いですよね。早川書房の文庫がリニューアルして背が高くなって、本棚の置く場所を悩ませますよね。
野波 最初にカバーをつけた話をしたけれど、ハヤカワ文庫の新版用に買ったカバーがぴったりなんだよね。で、結局、文庫なの新書なの?
中村 読書面としては文庫扱いかな。
山崎 いいラインアップですよね。
野波 でも、その辺の分類があいまいなせいか見逃されているような気がするし、そもそも復刊ものだから、なかなか取り上げにくい。
山崎 アンソロジーがいいですよね、『おばけずき 鏡花怪異小品集』(東雅夫編)に始まるシリーズとか。澁澤でいえば『フローラ逍遥』とか『貝殻と頭蓋骨』もある。さっき気づいたんですけど、石川淳と澁澤って同じ年に亡くなっているんですね。
中村 えっ、そうなの?(本をめくりながら)石川淳、87年12月、88歳。澁澤龍彦、87年8月、59歳。この時期の文芸担当記者は大変でしたね。
野波 石川淳については、この4月に『最後の文人 石川淳の世界』(集英社新書)という本が出ています。江戸文化研究者の田中優子さんらが、2019年に開いたシンポジウムの発表内容をふまえた論考集です。生誕120年にあわせた企画だったようですね。石川淳がいま「来ている」のかどうかはよくわからないですが、『狂風記』を読んでみて下さい。紙の文庫は切れていて、電子書籍しかないのが残念だけど。
山下紘加『エラー』(河出書房新社)
中村 いまの話につながるかもしれませんが、出版社っておもしろいですねという話です。河出書房新社の文芸誌「文芸」が新しい編集長の手で生まれ変わってから、若い作家を次々と送り出して、いろんな媒体に取り上げられ、芥川賞までとっちゃうわけです(2020年上期に遠野遥さん、下期に宇佐見りんさんが連続で受賞)。そのなかで埋もれちゃったのが、山下紘加さんの『エラー』。大食いクイーンの挫折を描いているんですけど、とにかく丼物をうわーっと食べる描写がむちゃくちゃおもしろい。これは芥川賞にはならないなあ~と思うんですけどおもしろい。
山崎 とにかく丼物を食べるシーンが(笑)
中村 特にロコモコ丼ですね。手首に負荷がかかるんですって、ロコモコ丼を食べると(笑)。ハンバーグの中にチーズが入っているから。これは主催者の企みなんですけど。〈全体を混ぜるのではなく、スプーンの裏をヘラのように使い、具材を上から丼の側面に押し付けるのだ。こうすることで卵の黄身は割れ、ハンバーグは切れ目を入れずとも潰れて分離し、下にあるご飯も一緒に押し潰される〉。すごいじゃないですか。
野波 すごいと言われても(笑)
中村 爆笑しながら読んだんですよね。〈一旦集中力が切れると、気が散り、それによって狭まっていた視野がひらける〉。大食いを自分で書こうと思ったことがないから、こうなんだと納得させられて。〈食べ物を口に運ぶまでの手の動作、咀嚼する歯や顎、嚥下する喉にも麻酔が切れたように疲れや痛みを覚えた〉。
山崎 おなかいっぱいを超えた世界だから、肉体的な疲労が来るわけですね。
中村 アスリートですよね。〈まだ食べられるとも思う。汗が垂れる。ときおり眩暈がするように景色が揺らぐ〉。ずっと読み上げていたい。超おもしろいけど、芥川賞ではない(笑)。賞は本質ではないけれど、文芸記者としては芥川賞を取る可能性が高そうな作品から取材していくわけじゃないですか。でもこういう作家に「あなたおもしろいよ、そのまま行け!」と言いたい気持ちはあるわけです。河出が主催する文芸賞の出身者には注目しています。昨年受賞した藤原無雨『水と礫』(河出書房新社)は、野波さんも好きでしたっけ。
野波 ラクダの話だっけ。これはおもしろかったよねぇ。
中村 おそらくガルシア・マルケスが大好きなんだろうなあと。東京の隣に砂漠があって……。〈ともかく彼は、クザーノだ〉。冒頭からこれ。怖い物なしです。何?これは人の名前?と戸惑う。読者がわかるかどうかなんて、どうでもいいというか。砂漠をどんどん進んで、みんなを置いてけぼりにして走っていく楽しさ。
野波 構造がおもしろいよね。過去と未来に少しずつ延びていく物語というか。
山崎 1、2、3、1、2、3と話が広がりながら続いていく。
中村 次にどういう話を書くのか、すごく楽しみです。
野波 クザーノとかコイーバとか、男性の登場人物の多くは葉巻の名前だよね。
中村 私はそれがわからないから、聞いたことのない名前の音の響きが連なるけれども、ここは東京らしいぞと。
野波 女性の名前はなぜか純和風なんだよね。
中村 作家の1冊目って自由なんですよね。河出書房新社がすばらしいのは、芥川賞候補にならなかった作品もきちんと本にするところです。大前粟生『おもろい以外いらんねん』(河出書房新社)もそう。新人賞を設けているほかの出版社にも、新しい人の作品をなるべく本にしてほしいと言いたいです。
山崎 われわれって新しい作家さんが出てきたときに、大づかみしがちじゃないですか。この人はこういう感じの人、みたいに。
野波 とりあえず分類箱に入れたがるよね。
中村 ちょっとフェミニズム系とか、生きづらい私を描く人、とか。
山崎 どういうことを目指してやっている人なのかと、つい考えがちなんですけど、山下さんは作品を出すたびにちがうから、とらえにくい。
中村 前作の『クロス』(河出書房新社)は男の子が女装する話で、脱毛した足でストッキングをはくときの、肌にすいつくような密着感の描写がすごくうまいんですよ。とらえにくい新人作家は、これを書きたいというのがまだ見えていない状態なのかなと想像します。それが見えたときにはすごいものになると期待するし、次の作品が出たらまた読むと思います。