編集者からの依頼は、コロナ禍で生じた日常生活の危機について何か書いてほしい、というものだった。「コロナについて言うべき具体的なことは持ち合わせていない」哲学者は、この機会に乗じて、以前から考えてきた少し次元の違う「危機」を論じることにした。
私にとって、すべてが〈現にある〉ことの根拠は、どこを探しても見つからない。根拠がない以上、いつ失われてもおかしくない――。そのような根本的な危機のことだ。密接に関わる、比類のない「私」をめぐる探究は哲学界ではマイナーだそうだが、「何事にも根拠があるとは本当か、と疑うのも哲学の重要な機能」と、粘り強く取り組んできた。
こう書いてくると、たいそう取っつきにくい本に思えるが、そうではない。「この本は、あなたに向けて書かれた」という一文から始まり、読者に語りかける柔らかい文体でつづられる。自らの思想を形作ってきたフッサールやハイデガー、レヴィナス、デリダといった西洋の哲学者の術語はほとんど使われていない。「これまで人のふんどしで相撲をとってきましたが、そろそろ自分の言葉で語ってもいいかな、と」
落語家、詩人、元死刑囚、小説の主人公……。各章に多様な人びとを呼び込み、その言葉に触れながら存在と現象、生命について思索を深めてゆく。ユニークなのは、現象と一体の「味わう」ことを手厚く扱った点だ。「料理から文化、芸術まで、味わうことは生活全般にわたっていて、生きることと本質的につながっている」。その究極が「もののあはれ」の感慨だという。
「『ある』ことは奇跡に近い。その奇跡に向かい合う態度を伝えたかった」と語る。コロナ禍にこそじっくり味わってほしい言葉がここにはある。咀嚼(そしゃく)は簡単ではないけれど。(文・吉川一樹 写真は慶大文学部提供)=朝日新聞2021年10月2日掲載