「Papa told me」は聡明な小学生の女の子知世ちゃんと、その父親であり作家であるお父さんの、「自由で創造的な」家庭と、その周囲の人たちを描いた漫画である。
初めてこの作品と出会ったとき、私は中学生だったが、知世ちゃんは自分と似ている、と思った。おそらく、多くの同年代の読者と同じように。
知世ちゃんは、可愛くて、賢くて、本が好きで、おしゃれが好きで、お父さんが大好き。好きな本を読み、着たいものを着て、物事をよく観察し、繊細に感じ、よく考え、はっきりとものを言う。
「散歩のためにパラソルや帽子が必要なんじゃないの。白いドレスで白いお帽子でパラソルさして歩くために散歩に行くのよ」は好きなセリフの一つだ。
皆の理想を体現しているかのような、特別賢くて特別可愛い女の子であるのに、彼女は少しも作りものめいていない。しっかりとした存在感があり、喜んだり悩んだり怒ったりする。私は、彼女のそういった感情を、知っているものだと感じた。
自分と似ているところがあって、同時に、こうありたいと願ったような存在だ。私はすぐに彼女を大好きになった。
初めて読んだときから二十年以上が経ったが、作品も、作品を読んだ時の感情も、少しも色あせない。
大人になってから、子どもが主人公の漫画を読むと、大人の目線で、その様子を微笑ましく見守るような気持ちで楽しむことが多いが、この作品においてはそれがない。
彼女は最初から、子どもとして描かれてはいなかったからだ。的場知世という、一個の人格としてそこにいた。
だからだろうか、私が「女の子」ではなくなった今でも、知世ちゃんは変わらず、憧れの女の子だ。
私も年を重ねた今は、知世ちゃんよりも、彼女の周囲の大人たち――お父さんや、叔母の百合子ちゃんや、編集者の北原さんに、より強く感情移入するようになった。知世ちゃんにラーメン頭と呼ばれている作家の宇佐美も大好きで、とても共感する。
彼らは知的で、繊細で、自由なように見えて、どうしようもなく縛られ、それでも自分らしくあろうとしていて、そしてときにはそのために、孤独だ。
彼らは知世ちゃんに対等に接し、彼女に優しくしながら、同時に知世ちゃんの強さや賢さに憧れたり、はっとさせられたり、救われたりする。かつて知世ちゃんと同じように子どもだった自分が彼らの中に残っていて、ふとしたときに、それを思い出したりもする。
優しくて繊細な彼らを見て、私は今は、かつて知世ちゃんに憧れたような気持ちで、こんな大人でありたいと思っている。
彼らは決して完ぺきではないけれど、そこも含めて、とても愛おしい。
登場するすべてのキャラクターに、共感するところがあり、だからこそ、彼らが知世ちゃんの言葉や行動に救われると、自分も一緒に救ってもらったような気持ちになるのかもしれない。
初めてこの作品を読んだときと比べて、私はずいぶん大人になったけれど、あの頃知世ちゃんに共感した自分も、今も、間違いなくここにいると感じる。
今でもときには、彼女の周囲の大人ではなく、知世ちゃんに共感することだってある。彼女が生きているのは、私たちが生きているのと同じ世界で、理不尽なことに憤るのは子どもも大人も変わらないからだ。
これからさらに年を重ねていけば、次第に、知世ちゃんに自分を投影することは少なくなっていくだろう。それでも、きっと私は、彼女が変わらずそこにいてくれることに安心する。 道しるべとしての彼女がいてくれる限り、私は大事なことを忘れずにいられる気がする。
「いいのさ!ゆりこちゃんと私は親友だもん」
結婚を急かす親戚たちから叔母の百合子ちゃんを救出したとき、知世ちゃんが言った言葉だ。彼女は大人と親友になれる女の子なのだ。読者が年を重ねても、きっと親友でいてくれる、彼女はそういう存在だ。
知世ちゃんにはいつも、ずっと幸せでいてほしい。彼女をとりまく大人たちと同じように、私はそう思っている。
今も、ゆっくりとシリーズが続いていることが本当に嬉しい。
一年に一度でも、二年に一度でもいい。これからも、彼女が幸せでいることを確認するためだけにその日常をちらりと覗かせてもらえたら、と願っている。