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「アンゲラ・メルケル」書評 民主的手続きと倫理による決断

評者: 藤原辰史 / 朝⽇新聞掲載:2021年10月09日
アンゲラ・メルケル 東ドイツの物理学者がヨーロッパの母になるまで 著者:マリオン・ヴァン・ランテルゲム 出版社:東京書籍 ジャンル:伝記

ISBN: 9784487814695
発売⽇: 2021/08/30
サイズ: 19cm/311p

「アンゲラ・メルケル」 [編]マリオン・ヴァン・ランテルゲム

 ちょっとメルケルを褒めすぎではないか、という感は否めない。各種文書や詳細な聞き取りを踏まえた本格的な評伝は、このあとに出てくるだろう。それでも本書を紹介したいと思ったのは、衆院選を控えた日本の有権者は、政治家の資質とは何かを確認した方が良いと思ったからだ。
 読書中に私は何度も、もしこの16年間メルケルが日本の首相だったら、と考えてしまった。著者は、強い権限を持つフランス大統領と比較しているから、つい日本と比べたくなるのだ。
 まず、2011年3月の原発事故で脱原発の路線は確定したはずだし、入管の外国人虐待には激怒し古い体質を一掃しただろう。なぜなら、彼女は人権を制限された東独出身で牧師の娘であり、ドイツでの難民受け入れも脱原発も、倫理観に基づき決断したからだ。
 話し合いの時間は長かっただろう。彼女は、異なった意見を妥協させるプロだった。サルコジやオバマをイライラさせるほど、民主的プロセスを厳守した。
 女性や学問を蔑視し、権威を見せつける日本の政治家は彼女に放逐されただろう。彼女は元首相で恩人のコールまでも政治の舞台から追いやった。「私は虚栄心の強い方ではありません。男性の虚栄心を利用するのがうまいのです」という発言は吟味に値する。
 ベルリン中心部のアパートに夫と住み、近くのスーパーに現れたという。洋服や髪形にも無頓着で、大言壮語を嫌い、演説は抑揚がないが、コロナ対策では物理学者らしい冷静な言葉が国民に響いた。
 ただし、礼賛だけでは済まされない。ブッシュとブレアのイラク戦争に賛成し、ユーロ危機ではギリシャに慈悲なき緊縮財政を求めた。ヒトラーの髭(ひげ)を生やした彼女の絵がギリシャで掲げられたのはそのためだ。とはいえ日本の読者は、彼女の基本装備である説明力と倫理観さえ政治に欠ける時代が続いていることにまず嘆息せざるをえない。
    ◇
Marion Van Renterghem 1964年パリ生まれ。ジャーナリスト、仏ルモンド紙の元記者。