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「ぼのぼの人生相談 ひととくらべちゃダメなのさ」 森の動物たちがマンガで教えてくれる、幸せの見つけ方

【好書好日の記事から】

「しまっちゃうおじさん」誕生秘話 「ぼのぼの」作者いがらしみきおさんインタビュー

7割くらい働きたくない気持ちです。

もう一つのお答え(いがらしみきお)

 人生相談とかはじめておいて、いきなり「自分で考えな」(編注:9ページのセリフ)もないもんですが、誰かが言った意見やアドバイスも、どこかで穴があるというか、完璧ではないわけです。みんな似たような悩みを持っていても、どこかでちがうし、そのちがいに対応した答えというか、誤差みたいなものは、自分で考えるしかないと思います。

 実は私は人に聞くということができないヤツです。難聴者だというのもあるんですが、昔から人にものを教えてもらうとか、尋ねるということができません。だからクルマの免許もないし、スキーもできないし、釣りとかもやれない。それはいいとして、今考えてみても、人に教えてもらったことで役に立っていることが思いつかないし、自転車に乗れるようになったのも、確か自転車に乗れない母親に補助してもらったんですね。兄が2人もいたというのに、なぜ乗れない者同士でそんなことをやったかというと、私が自転車に乗りたいと言ったら、母も乗りたいと言い出したからです。まず、私が乗れるようになってから、母に教えてやろうということになった。ですから私の補助をしてくれたのは母親でしたが、自分も乗れないので、自転車を押しながら「ほら、漕いで、漕いで」しか言わない。しかし、こちらは子どもなので2、3日したら乗れるようになりました。それで今度は母に教えることになったんですが、母の乗る自転車を押しながら、私も「漕いで、漕いで、なんで止まんの」しか言わない。

 結局、人に聞くことができないヤツは、教えるのも下手だということじゃないでしょうか。その証拠に母は結局自転車に乗れませんでした。

 まったくそれで人生相談をやろうなんて無茶もいいところですが、私は漫画の描き方も人に聞いたことはない。まぁ、アシスタントの経験がある人以外はほとんどの漫画家が自己流です。編集者に鍛えられたという人もいるかもしれませんが、私の年代の漫画家で編集者にいろいろ教わった人はあまりいないでしょう。たいがいほっとかれて、おもしろければ載せるし、おもしろくなければ切られるのが基本です。そうやって鍛えられたというか、自分で鍛えた。自分で鍛えるのは、苦しいけども楽しい。ほんとです。「わかった!」という瞬間がある。人に聞いたり教えられると、その瞬間がチビチビダラダラとしたものになってしまうというのはただの偏見でしょうが、なにより自分で考えたことは忘れません。それに自信がつくし、新しい問題が出て来てもなんとかなると思える。それは確かに漫画を描くということに対してですが、生きて行くということについても同じだと思います。自分で考えることは、苦しみもあるけど、喜びもあるし、その上に自信がつく。とは言え、誰にも聞けないし、教えてくれないわけでもない。

 しかし、この世には本というものがあります。本はいいです。押しつけもしないし、ヒントをくれるし、自分で考えることもできる。それにこの世界のほとんどのことはもう本に書いてあるのですから。(本文33ページより抜粋)

人生が長い、誰かに分けてあげたいくらいです。

もう一つのお答え(いがらしみきお)

 私はどうなんですかね。自己肯定感が強いヤツだと思われているかもしれませんが、弱くはないでしょうね。自己肯定感がないと、とても漫画家とかはやれません。自分が描いているものをおもしろいと思えない漫画家なんて、それはもう地獄みたいなものだし、いつもおもしろいものが描けるわけでもないので、そういう時こそ自己肯定感でなんとかしないと、メンタルがボロボロになります。いわば自己肯定感でシールドしているというか、空元気出しているというか、そういう世界ですが。

 しかし、自己肯定感を維持するためには、ある程度は自尊心を満足させるものを描きつづけることが必要です。でないと、それこそ自己肯定が自己欺瞞になってしまって、漫画家としてのアイデンティティがクライシスしてしまいかねない。つまり、売れる売れない以前に、自己満足であれなんであれ、自分が気に入った作品を描けるかどうかです。自分にナメられるものしか描けないと、他人にもナメられます。この辺はなんだかみなさんと関係ないことのように見えますが、会社員にも通用する理屈です。自分にナメられるような仕事をするヤツは人にもナメられる。しかし、こういう思考回路の人が会社で生き延びるのは、ちょっとむずかしいでしょう。上司や経営者にいいように利用されて、むずかしい仕事ばかり任されるかもしれないし、それでもやり遂げれば、たぶん出世すると思いますが、毀誉褒貶の激しい人生をたどり、自己肯定感の鬼のような人になるかもしれません。

 自己肯定感の反対語はなんでしょう。当然、自己否定感でしょうが、そうではなくて他者肯定感だったらどうか。これはなんかスゴイ。他者肯定感の強い人というのは、自分なんかより、とにかく他人の方がスゴイと思っている人です。きっとみんなを誉めまくるヤツかもしれない。そんな人がいたら、これは好かれますよ。みんな友だちになりたがるし、飲みに誘われまくるし、悪く言う人はいないでしょう。もちろん、陰では軽い扱いされているかもしれませんが、そういう人を軽い扱いする人物ほど、どこかで誰かに嫌われているものです。

 他者肯定感の強い人になりたいと思いませんか。私はなりたいですね。だけど私にはできない。なぜできないかというと、自分を捨てられないからでしょう。自分を捨ててしまった人生というのはどういうものなのか。とても幸わせそうです。だって自分なんかもうどうでもいいのですから、なににもこだわることはない。ギリギリ生きて行ける生活があればそれでいい。

 実は私には出家願望というのがあって、40歳過ぎたあたりから、密かな夢として抱いています。ほんとにそんなことやれるのか、たぶん無理でしょうが、私には漫画家になること以外に夢というものがなかったので、いざ出家したら、それこそ自己肯定感でいっぱいの顔をしているかもしれません。(本文153ページより抜粋)