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今村翔吾さん「塞王の楯」インタビュー 石垣vs大砲、職人の戦国 人はなぜ争う、大きな問い

『塞王の楯』を出した作家の今村翔吾さん=上原佳久撮影

 時は戦国。近江国(滋賀県)には、城などの石垣を築く石工(いしく)の穴太衆(あのうしゅう)と、国友(くにとも)の鉄砲鍛冶(かじ)という全国トップクラスの職人集団が拠点を構えていた。

 滋賀在住の今村さんは長年、興味を持ちながらも「読者が僕に求めているのは、熱くて動きのある作品。職人の技能を描く小説は向いていないのかなと」。

 すると、天下分け目の関ケ原の前哨戦として東軍と西軍がぶつかった大津城の戦いで、二つの職人集団の技能もまた対決していたことを知る。守る石垣と、攻める大筒(大砲)。攻防技術の頂上決戦を描き出す意欲にかられ、筆を執ったという。

 主人公匡介(きょうすけ)は幼い頃、城が攻め落とされる混乱のなか家族を失い孤児に。そこを穴太衆の頭で「塞王」の異名を持つ源斎に救われ、弟子となって頭角を現す。誰も破れぬ石垣をつくり、戦乱の世を終わらせると誓う匡介。だが国友衆の若き頭、彦九郎(げんくろう)もまた己の信念をこめ、すべてを貫く大筒をつくろうとしていた。

 穴太衆は独立した職人集団でありながら、城の図面という軍事機密を知る立場。そのため「技術の継承は口伝。戦いの最中でも石垣を直したという記述が史料にあっても、職人たちが具体的にどう動いたかは分かりませんでした」。

 そこで、穴太衆の流れをくみ、現在も石垣の修復などに携わる「粟田建設」(大津市)に取材。表から見える石積みの裏側に栗石(ぐりいし)と呼ばれる小ぶりな石を敷く技術や、技を極めるうちに「石の声が聞こえるようになった職人もいた」といった逸話を教わり、想像を膨らませていった。

 〈石垣を積む技とは、突き詰めれば人を守る技。さらに飛躍させれば泰平を築く技/自らがいらない世を、自らの手で築こうとする。という矛楯(むじゅん)した存在〉

 作中では、穴太衆をそうした葛藤をはらんだ集団と位置づけた。「戦乱のなか、どう生きるべきか考えたのは武士だけではなかったはずです」

 昨年、直木賞候補になった『じんかん』では、戦国活劇に「人はなぜ生きるのか」という大きな問いを立てた。そうして骨太のエンタメを描き出す今村流は今作も健在だ。「人はなぜ争うのか。このテーマだけ決めて書き始めた」

 匡介は彦九郎と戦場で対峙(たいじ)するうち、彼もまた防ぎようのない大筒の「抑止力」によって、戦国の世を終わらせようとしていることに気づく。

 〈戦のない国という理想は同じ。だがそこに行きつくまでの道程は大きく異なる〉

 現代の核抑止論も想起させるシリアスなテーマが浮かび上がるが、こうした作風が「歴史に現在の問題意識を持ち込んでいる」と指摘されることも。それでも「ここだけは変えません」と言い切る。

 「いまに通じる苦悩を抱えた主人公を戦国時代に投げ込むことで、僕たちが忘れてしまっているものが見えてきます。書きながら、主人公と共に考えることを大事にしたい」(上原佳久)=朝日新聞2021年12月8日掲載