父の命を救ったキスカ撤退の指揮官
私の父は大正12年生まれで、旧制富山中学から海軍に入隊。太平洋戦争ではキスカ島に派遣され、敵機の襲来を探知する電探係を務めました。キスカ島といえば、五千人余りの日本兵がアメリカ軍の包囲をかいくぐって無傷で撤退に成功した「奇跡の作戦」で知られます。撤退を指揮した木村昌福の生涯を綴る『キスカ撤退の指揮官』は、ひと回り上の従兄の勧めで読み、感銘を受けました。父は、「電探係は空襲を真っ先に知るので防空壕に隠れるのが早かった。怖いものなどなかった」と、いいことしか語りませんでした。実際はどうだったのか。本書によると、アッツ島の玉砕を聞いたキスカ島の空気はかなり緊迫していたようです。いずれにせよ、作戦の成功がなければ私は存在しません。本書は敵味方を問わず人命を尊重した木村の人間性も伝えています。多くの人に知ってほしい人物です。
私は富士フイルムに入社後、国内写真関連事業の営業部門を経て1994年から海外で働きました。最初に赴任したベトナムでは、上司がくれた坪井善明の『ヴェトナム「豊かさ」への夜明け』(岩波新書)や、開高健の小説などに親しみ、次に赴任したシンガポールでは、インド、スリランカなどアジア13カ国が担当エリアだったので、アジアにおけるイスラム教史や東インド会社の歴史などに興味を広げました。次に赴任した中国では、『蒼穹の昴』シリーズを愛読。子どもの頃に大好きだった横山光輝の漫画『三國志』も大変な傑作ですが、浅田作品は近代中国を題材にしているところが出色だと思います。馬賊の長から満洲の覇者となった張作霖を主役にした『中原の虹』は、日本語に通じた中国人の同僚が「満洲語まで細かく調べてある。すごい大作だ」と驚いていました。想像と史実を絶妙に織り交ぜた浅田作品の魅力を、舞台となった土地を実際に目にしながら堪能した覚えがあります。
私が海外にいた17年間は、日本の「失われた20年」と時期が重なります。ですからどんな20年だったのか実感がなかったのですが、『「分かち合い」の経済学』を読んでなるほどと思いました。本書は新自由主義が福祉・公共サービスの縮小を招き、格差を生んでいると指摘。福祉国家スウェーデンに根づく「オムソーリ(悲しみの分かち合い)」と「ラーゴム(ほどほど)」という二つの価値観に学ぶものがあると説きます。人口が少ないスウェーデンだから成り立つのでは? 無駄な公共事業は省いて福祉は手厚い「小さな政府」ならいいのでは? そんな思いを抱きつつ、何が失われ、何を補うべきか考えさせられました。特にスウェーデンのリカレント教育には学ぶべきことが多いと感じます。同国の主眼は新規産業に適応できる人材を育てて労働生産性の向上を目指すという現実的なものだと思いますが、これからの日本に必要な政策だと思います。
東大EMPで教わった組織デザインのあり方
帰国した翌年の2012年、社命で東大EMP(東京大学エグゼクティブ・マネジメント・プログラム)に参加しました。マネジメント・スキルやサイエンス・リテラシーを学ぶ半年間のプログラムで、この間は大量の本を読みました。当時東大EMPの推進責任者を務めていたのが横山禎徳さん(元マッキンゼー・アンド・カンパニー東京支社長)で、私は勝手に師匠と呼んでいます。『組織「組織という有機体」のデザイン 28のボキャブラリー』は、横山さんの講義のエッセンスが詰まった一冊。「行動変容こそが組織を変える目的」「組織デザインは組織論とは違う。具体的な訓練を通じて身につける『身体知』としての高度スキルである」「『身体知』とは、例えば自転車に乗ること。乗り方は文章にはならない。しかし、街中で安全に走るには経験と知恵、自転車走行の規則を知ることは必要。組織デザインも同じ」「『性怠惰説』に基づき、人を望ましい行動に駆り立てる仕組みをデザインせよ」。こうしたボキャブラリーを反復し考えを深めることで、組織デザインの参考にしています。
『直観の経営「共感の哲学」で読み解く動態経営論』は、先に触れた「身体知」との類似を感じながら読みました。個人が蓄積した知識や経験、すなわち「暗黙知」を組織全体で共有して形式知化し、新たな創造につなげることが重要であるという内容は、当社の前会長・古森重隆(現・最高顧問)が常々語っていたことと重なります。分析主義的な経営ではなく、個人の直観や体験を研ぎ澄まして必要な情報を選り抜き、物事の本質をつかむ「本質直観」の経営が重要であると。本質直観を磨くには、現場に足を運び、人の熱量を肌で感じる直接のやり取りが不可欠です。それはウェブ経由では決して得られないものだと思っています。 (談)
後藤禎一さんの経営論
後藤禎一氏は、富士フイルムのヘルスケア分野の成長を支えた人物だ。目下、ヘルスケア分野や高機能材料分野のさらなる成長を目指している。具体的な取り組みや、自身の職務経験などについて聞いた。
ヘルスケアと高機能材料が成長の柱
富士フイルムホールディングスの今上期決算は、売上高1兆2051億円(前年比20.8%増)、営業利益1,079億円(前年比91.0%増)と、コロナ禍にもかかわらず好調だ。後藤禎一社長は、成長をけん引するヘルスケアの分野で活躍。今年3月末には、自身が主導した日立製作所の画像診断機器事業の買収が成立、その同日に社長就任を発表した。
「ヘルスケアでは、ワクチンや遺伝子治療薬など、バイオ医薬品の開発・製造受託を展開するバイオCDMO事業が大きく伸びています。今後も独自の高度な生産技術と、抗体医薬向けを中心とした大規模な設備投資で、バイオ医薬品需要の急速な拡大に対応していきます」
ヘルスケアとの両輪で成長を支えているのが、高機能材料の分野だ。5G、AI、自動運転などの発展に欠かせない半導体向けの電子材料を始め、ディスプレーやタッチパネルの材料など幅広い。
「いずれも写真フィルムの分野で培った技術を強みとしています。最先端の高機能材料の開発・提供を通じてDX(デジタル・トランスフォーメーション)が促進される時代の安心・安全な社会づくりに貢献していきます」
5年後、10年後を見据え、種をまく
同社は2030年度をゴールとするCSR計画「SVP(サステナブル・バリュー・プラン)2030」を策定。その骨子は、先進・独自の技術をもって最高品質の商品やサービスを提供し、事業を通じた社会課題の解決に取り組み、サステナブル社会の実現に貢献していくというもの。
「2030年に売上高3兆5000億円以上という数値目標を設定しました。今期は『SVP2030』の実現に向けた中期経営計画「VISION2023」の1年目にあたります。「VISION2023」で掲げた23年の売上高目標は2兆7000億円。なお、22年3月期の連結業績予想は上方修正して売上高2兆5100億円(前年比14.5%増)、営業利益は過去最高の2200億円(前年比33.0%増)を見込んでおり、目標が射程内に入った感覚があります。とはいえコロナ禍は予断を許さない状況ですし、その他の外部環境の変化も起こりえます。DXをさらに加速させるなど、油断することなく目標達成を目指していきます」
後藤社長は海外経験が豊富で、海外駐在期間は17年に及ぶ。
「海外では営業、経理、総務、人事、在庫の管理、代理店の指導などあらゆる業務に目を行き届かせる必要があり、それを若いうちに経験したことが今日の糧になっています。様々な文化、人種、習慣、宗教と触れ合う中で、人間同士の信頼関係こそがビジネスの根幹であることも学びました。その実体験があるので、若い社員を海外に派遣し、経験を積ませています。実際、頼もしい社員が育っていると思います。経営者は5年後、10年後を見据えてビジネスの種をまき、水を与え、花を咲かせなければなりません。現場を自分の目で見て、嗅覚や皮膚感覚を働かせ、これぞといういい種を見つける。そうした現場感覚を何より大事にしています」