1. HOME
  2. コラム
  3. 本屋は生きている
  4. 冒険研究所書店(神奈川) 南極点を踏破し、小田急の駅前に着陸して始めた「街の本屋」という挑戦

冒険研究所書店(神奈川) 南極点を踏破し、小田急の駅前に着陸して始めた「街の本屋」という挑戦

 人はなぜ本を読むのか。答えは1人1人違うと思うが、私の場合は「知らないことを知りたい」からだろう。

 たとえば絶滅収容所にいた記憶はなくても、『夜と霧』でその陰惨な状況を知ることができた。『にあんちゃん』では親を喪った在日コリアンの子どもたちが、貧困の中で生きようとする姿に涙腺が崩壊した。自分の経験ではないが、誰かの言葉が伝えるものを通して、何かを知ることができるのが本なのだと思う。

 北極冒険家の荻田泰永さんが書いた『考える脚』も、私に知らない世界を見せてくれた1冊だった。たった1人、ギリギリの装備で向かった北極点無補給単独徒歩や南極点到達への道筋、カナダからグリーンランドまでをやはり1人で歩く中で目にしたものを描いている。読み進めていくと、実際にはその場にいないはずなのに、ともに見ているような気持ちになれるルポルタージュだ。

 ある日ふと、著者の荻田さんの近況が気になり、検索してみた。えっ、神奈川県内で本屋やってるの? さっそく、会いに行ける冒険家の本屋「冒険研究所書店」に向かった。

店主で北極冒険家の荻田泰永さん。
 

休校中の子どもたちに事務所を開放

 新宿から小田急江ノ島線の快速急行で約50分、神奈川県大和市にある桜ヶ丘という駅で下車する。隣の高座渋谷や大和には仕事で行ったことがあるけれど、初めての駅だった。各駅停車のみが停まる、どこかのどかな駅前にある歯科医院の2階に、「町の本屋さん」というのぼりが見えた。 

歯科医院の上の窓に、「街の本屋さん」の文字が見える。

 店に続く階段の両脇には、荻田さんの旅の写真パネルが飾られている。こんにちはと声をかけて中に入ると……。いた、荻田さんいた。なんでも「5分後にラジオ出演があって、話さないとならない」というので、終わるまでの間、店内を見渡すことにした。

 約100平方メートルの店内には、壁側にぐるりと本棚が据え付けられている。中央部分には平台と、座ることもできるスペースがあり、荻田さんが南極に行った際の装備一式と、それを身に着けた「分身」が鎮座していた。生で見るとちょっとワクワクする。

 入口から見て右側にはギャラリーと倉庫スペースがあり、今まで訪ねた個人書店の中ではダントツに広い。ラジオ出演を終えたばかりの荻田さんによると、2019年10月に装備置き場兼事務所として借りた場所なのだという。

壁の書棚は古本、新刊は中央に置かれている。

 荻田さんは相模原市の西にある神奈川県愛川町出身で、2018年まで北海道の鷹栖町に住んでいた。今の場所は「新宿から電車で1時間程度の場所に事務所を置こうと思い、不動産情報で選んだ」そうだ。ここに来るまではほとんど、江ノ島線に乗ることもなかったと語った。

 「たまたま他の物件より家賃がお手頃だったんです。それで実際に来てみると、町に本屋がないことに気づきました。でもその時は『本屋がないな』と思うにとどまっていました」

 事務所兼倉庫でありながらも、「たくさんの人が出入りする場にしたい」という思いはあった。しかし、事務所には基本的に用事のない人は訪れないものだ。だから「これは違うかもしれない」と思っていたところ、コロナ禍に見舞われた。

 「一斉休校になったので、近くの子どもたちのために事務所を開放したんです。それを機に、地元の人たちと触れ合うようになって。いろいろ話しているうちに『この子たちは一体、どこで本と出会うのだろう?』と思うようになりました」

店内に鎮座する、荻田さんの「分身」。この装備で南極を冒険した。 

開店資金はクラファンで

 両隣の駅には本屋があるが、桜ヶ丘にはない。誰かがやらないだろうかと思っていたけれど、自分も本が好きだったし、店を開けば「場を作る」こともできると気付き、本屋を始めることを決意した。

 事務所を改装して書店にするための、内装や仕入れにかかる費用をクラウドファンディングで募った結果、300人以上から目標の250万円を大きく上回る342万7780円が集まった。その資金をもとに書棚などはリサイクルショップなどで集めた。しかし、本の仕入れは、全くの未経験だった。

 「自分も周りの人も、書店でのアルバイト経験すらなくて。どうやって本を仕入れたらいいのか、知識がありませんでした。でもそれをSNSでつぶやいたら、大船にあるポルベニールブックストアの金野典彦さんが、『同じ神奈川で書店を始めるなら』と、いろいろ教えてくれたんです」

 連載2回目で登場したポルベニールブックストアの金野さんが、荻田さんの書店への旅を導く存在になったとは。新刊に関しては金野さんに教えてもらう一方、古本の仕入れについては検索した結果、卸をおこなう会社があることを知った。

 かくして2021年5月に、冒険研究所書店がオープンした。当初は品揃えの多くが古本だったが、現在は新刊2.5・古本7.5という割合になっている。ここ最近は徐々に、新刊の割合が増えつつあるそうだ。

店のロゴは荻田さんが描いたラフをもとに、絵本作家の井上奈奈さんが手掛けている。

「試行錯誤の営み」を感じる品揃え

 『考える脚』を読むと、極点への無補給単独徒歩は「いかに荷物の負担を軽くしながら、身の安全を確保するか」との戦いでもあることがよくわかる(食料配分に悩むあまり、あるものが食べられるのかと思案に暮れる場面があるが、詳しくは読んでみてほしい)。だから北極や南極への遠征に、本を持っていくことはほぼない。しかし子どもの頃から本が好きで、大学生の頃に読んだ井上ひさしの『四千万歩の男』は、今でも忘れられない1冊だという。

 そんな荻田さんは時折、「危険な思いをしてまで、なぜ北極や南極に冒険に行くのか」という質問を受けることがある。今や誰でも500万円ぐらい払えば、原子力氷砕船で北極点まで連れてってもらえる。南極点までも飛行機を使って700万円ぐらいで行ける。しかし荻田さんは、「自分の心にあるものは『極点に行く』ということではない」と力を込める。

 「だからそういう質問には、答えないんです。昨年ここで渋沢栄一の曾孫で農学博士の澁澤寿一さんとイベントを開催したんですが、その時に哲学者の内山節さんが言っている『機能と祈り』の話になりました」

 「たとえば『父親』と聞いて『家にお金を持ってきてくれる人』と思うのは機能で、『週末にキャッチボールをしてくれる存在』と思うのは祈りなんです。機能は他のものでも替えが利きますが、祈りは唯一の存在。私が冒険に求めているのは、まさにこの祈りに通じる試行錯誤の営みなんです。でも機能に目が行ってしまう人には、なかなか伝わらないんですよね」

角幡 唯介さんの著書はじめ、冒険がテーマの本が揃っている。 

 そんな思いを裏付けるように、新刊と古本を合わせて約3000冊の在庫の中には、答えが用意されている「●●をすれば××になれる」系の本は見当たらない。「空いている場所に入れているので、とくに仕掛けはない」と言う棚はジャンル分けされておらず、ぱっと見る限りではバラバラに置かれているように感じる。

 しかしどこか、川の流れのようなつながりがあるような気がして、探しにくいということは決してない。むしろ「隣には何があるんだろう?」という、宝探しのような気分にさせてくれる。

取材した12月は、ギャラリースペースで山本直洋さんの写真展がおこなわれていた。これは山本さんが空撮に使用する、モーターパラグライダーの現物。

「本屋を続けること」が新たな冒険に

 「よく『次はいつ冒険に行くんですか?』と聞かれるんですけど、本屋をやってること自体が新たな冒険ですよ」

 先ほどのラジオで、荻田さんはこう語っていた。

 オープン以来7カ月間に渡って本屋という未知なる場所に足を踏み入れてきたが、まだまだ、地元にも存在に気づいていない人が多くいる。わざわざ遠くから足を運んでくれるお客さんは嬉しいが、本は生活の傍らにあるから、家の近くで買うものだという思いがある。都心のベッドタウンである大和市は、人口の約4分の1が高齢者だ。彼ら彼女らに存在を知ってもらうために、新聞に折り込みチラシを入れたり、時には配達したりもしている。

 「やっぱり『ここに店がある』ということを、地元の人に知ってもらうことが何よりも大事だと思うんです。店にある本を全部読むことができないから、自分の感性で選んできましたが、お客さんが望む本を意識する必要もあると今は感じています」

 専門化された書店は、他に競合がある大きな街なら成り立つが、街で唯一の本屋なら、訪れる人たちの声に応える使命がある。「自分が好き」と「お客さんが求めている」のバランスをどうするかが、今後の課題なのだそうだ。

荻田さんと、親友の栗原慶太郎さん(左)。

 と、そんな話を1時間以上かけてしている間、じっとレジ前に店のオペレーション全般を担当している栗原慶太郎さんが座っていた。そのさまがあまりにも自然だったので声をかけてみると、2人は保育園からの友人。栗原さんは荻田さんの、マネジメント役でもあるそうだ。

 日本でたった1人の北極冒険家の書店には、本だけでなく40年以上変わらぬ絆が存在している。

 「ずっと一緒の友達と本屋ができるって、なんか羨ましいなあ」

 おじさん2人(といっても私よりは若いが)の北極の氷より厚い友情に、ちょっと嫉妬してしまった。

(文・写真:朴順梨)

荻田さんが選ぶ、冒険への一歩をいざなう3冊

●『四千万歩の男』井上ひさし(講談社)

 愚直な一歩を重ねて、地球の大きさを測ろうとした伊能忠敬の姿勢は、科学的な課題に対して、自らの身体で挑む探検そのものだ。50歳を過ぎた第二の人生で成し遂げたという点からも、全ての人に読んでほしい一冊。

●『世界最悪の旅―スコット南極探検隊』アプスレイ チェリー・ガラード、加納一郎(訳)(中央公論新社)

 極地探検記の古典にして名著。南極点人類初到達を目指した英国スコット隊の奮闘と、悲劇に終わったその顛末。最終ページに記された「探検とは、知的情熱の身体的表現である」とは、人類普遍の挑戦心を端的に著した至言だ。

●『星に絵本を繋ぐ』井上奈奈(雷鳥社)

 冒険研究所書店のロゴを制作した、絵本作家井上奈奈の最新刊。これまでの作品制作の哲学や、具体的な工程をまとめたもの。物作りをする人、表現活動を行う人にはきっと感じるものがたくさんあるはず。美しい作品集は読み物としても素晴らしい。

アクセス