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生き物の絶滅 探求と再生…浮かぶ人間の業 同志社大学特別客員教授・渡辺政隆

モーリシャスの森に設置された絶滅したドードーのブロンズ像=『ドードーをめぐる堂々めぐり』から、©川端裕人

 英語の成句dead as a dodoは、すでに死んでいる、もはや廃れているといった意味で使われる。ドードーとは、インド洋の島モーリシャスのみに生息していた、シチメンチョウ大の飛べないハトの仲間である。
 敵がいない島で優雅に暮らしていたドードーだったが、オランダ人入植者が持ち込んだ家畜やネズミ、そして人間のせいで、発見報告からわずか64年後の1662年に絶滅した。

 ドードーの悲劇はそれだけではない。17世紀のことなのに、詳しい生態はおろか、わずかな骨と皮しか残されていないのだ。そのせいもあり、『不思議の国のアリス』(1865年)で描かれた、無様でのろまな鳥というイメージが増幅されてきた。
 しかし近年、スマートなドードー像の復元が進んできた。2014年には驚きの発見も。1羽の生きたドードーが1647年(正保4年)に長崎の出島に持ち込まれていたという文書がオランダで見つかったのだ。

再発見された魚

 その事実に奮い立ったのが、熱烈なドードーファンの川端裕人さん。その鳥はどうなったのか、将軍家光はドードーを見たのか、出島ドードー探しの旅が始まった。その顚末(てんまつ)が、『ドードーをめぐる堂々めぐり 正保四年に消えた絶滅鳥を追って』である。
 川端さんの入れ込み様はすごい。関連文献を読破し、ドードーの歴史的資料が保管されている世界各地を訪ね歩き、モーリシャス島の化石の発掘現場にまで足を延ばしたのである。
 そして、出島ドードーの痕跡が国内で見つかることを期して同書を上梓(じょうし)したというしだい。

 絶滅したとされていた生物が再発見される例もなくはない。2010年の、山梨県西湖におけるクニマスの発見もその一つ。
 クニマスとは、秋田県の田沢湖に閉じ込められた(陸封型)ベニザケがその地で特殊化した魚である。地元ではクニマス漁も行われ珍重されていた。
 しかし、水力発電と灌漑(かんがい)用の水の確保という国策により、1940年に強酸性の温泉水を流入させたことで水質が悪化し絶滅した。
 西湖で再発見されたのは、1935年の田沢湖産クニマス放流事業の生き残りだった。
 中坊徹次さんの『絶滅魚クニマスの発見 私たちは「この種」から何を学ぶか』は、西湖で見つかったマスをクニマスと同定した研究者による学究的な報告書だ。

 著者は、生物の種とは何か、種の絶滅とは何かを丁寧に説くと同時に、クニマスが田沢湖で進化し、西湖で生き延びえた理由を考察している。
 クニマスは、水深が日本で最も深い田沢湖に特殊化した魚であり、田沢湖が死んだときに運命を共にした。
 西湖で生き残ったのは偶然で、深い湖底の湧き水帯で産卵するという特殊な生態が幸いし、同じベニザケの陸封型であるヒメマスとの交雑が避けられた。

楽園は存在せず

 西湖のクニマスの同定には遺伝子解析が一役買った。今や、遺伝子を改変する技術もある。
 シベリアの凍土から見つかるマンモスの遺体から得た遺伝情報を基に、アジアゾウの遺伝子を書き換えれば、マンモスが産まれるかもしれない。『マンモスを再生せよ ハーバード大学遺伝子研究チームの挑戦』は、そんな挑戦を真剣に目論(もくろ)む人間模様を描いている。
 ならば、ハトの遺伝子を改変すればドードーの再生も可能なのか。しかしドードーの楽園はもはやない。クニマスを生んだ田沢湖の水質も戻っていない。勝手に絶滅させておいて再生を夢見るなんて、人間の業は田沢湖の水深よりも深い。=朝日新聞2022年1月8日掲載