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大河ドラマで注目、北条義時の実像は 公と武の関係、対立か協調か 大阪大学教授・川合康

NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」(作・三谷幸喜)から。北条義時役の小栗旬

 今年のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の主人公は、北条義時である。義時は、過去の大河でもクローズアップされたことがあった。1979年に放映された「草燃える」である。主人公は姉の北条政子だが、気弱な青年であった義時が、冷酷な政治家に変貌(へんぼう)していく過程を、20代半ばの松平健が好演した。大学3年生の私は夢中になり、卒業論文のテーマに、鎌倉幕府の成立を選んだ。私の研究の原点は、大河ドラマの「草燃える」といえるのである。

「革新型政治家」

 義時は、時代とともに大きく評価が変わった人物である。承久の乱(1221年)で義時追討を命じ、鎌倉幕府の瓦解(がかい)を目論(もくろ)んだ後鳥羽上皇に対して、義時は事実上の鎌倉殿であった姉政子とともに、幕府軍を京に攻め上らせることを決め、上皇方に勝利した。そして、謀叛(むほん)人(反乱者)として3上皇を配流したから、戦前の歴史教育では、皇室に敵対した逆賊と見なされ、批判の対象となっていたのである。

 しかし戦後、中世史研究の潮流が大きく変わるなかで、義時の評価も見直された。1961年刊行の安田元久『北条義時』は、義時の生涯を追究したはじめての本格的伝記である。幕府編纂(へんさん)の『吾妻鏡(あずまかがみ)』だけでなく、一次史料である『玉葉(ぎょくよう)』や『明月記(めいげつき)』などの貴族の日記も用いて考証がなされており、現在でも義時を知るうえでの基本書といえよう。また本書は、承久の乱によって、武家として古代的な公家政権を圧倒し、執権政治による全国統治を導いた義時を、「革新型政治家」と評している。皇国史観から解放された、戦後の歴史学の研究動向が、評価の転換をもたらしたのである。

 武家政権が公家政権を打倒していくという理解は、やがて批判され、現在においては、中世の公武政権は互いに補完し、基本的に協調する関係にあったことが明らかにされている。3代将軍実朝の暗殺から承久の乱にいたる2年余は、公武対立が表面化した例外的な時期であった。

 その時期に幕政を主導した義時の苦悩や葛藤を描いた評伝が、2019年刊行の岡田清一『北条義時 これ運命の縮まるべき端(はじめ)か』である。本書は、驕(おご)りや失政など、負の側面もあえてとりあげ、人間義時を多面的に論じている。書名の副題は、承久の乱で幕府軍を派遣した義時が、自邸の釜殿(かなえどの)に落雷した際発した言葉で、ここには後鳥羽上皇に敵対する怖(おそ)れやためらいが示されている。鎌倉時代の公家政権は、決して前代の遺物などではなく、現実に機能する巨大な国家権力そのものであり、上皇は幕府の御家人ですら直接動員する体制を築きつつあった。そうしたなか、上皇方と正面から決戦に及ぶには、大いなる覚悟が必要だったに違いない。本書では、そのような血の通った義時像に接することができる。

武士社会の秩序

 頼朝が創始した鎌倉幕府は、上皇や摂関家に武士が分属するのではなく、唯一の武家の棟梁(とうりょう)である鎌倉殿のもとに御家人が結集するという、新しい武士社会の秩序でもあった。実朝暗殺後、後鳥羽上皇によってその秩序が否定されそうになった事件が承久の乱であり、義時は頼朝の後継者として、鎌倉幕府を守り抜き、発展させた。

 鎌倉幕府の解説書としては、5人の気鋭の研究者が最新の研究成果をわかりやすくまとめた、21年刊行の田中大喜編著『図説 鎌倉幕府』が優れている。カラー図版が充実し、あまり歴史に詳しくない人でも読みやすく、大河ドラマの参考書として最適である。また、もし史料から鎌倉幕府像に触れてみたいなら、五味文彦ほか編『現代語訳 吾妻鏡』(全16巻/別巻1、吉川弘文館・2200~3520円)を、手にとってみてはどうだろうか。=朝日新聞2022年1月15日掲載