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小野寺史宜さんが愛し、12作の小説に登場させた食べ物は

©GettyImages

 好きなもの。最終回は何でもいいとのこと。

 だから、セロニアス・モンクのソロピアノについて書こうかと思ったが、それだとまた音楽になってしまうので、豆腐にした。

 僕は豆腐が好きなのだ。10代、いや、その前の1ケタ代からずっと好き。

 寿司でも焼肉でもカレーでもラーメンでもない。一番好きな食べものは豆腐。

 今後一切寿司は食べられません、となっても耐えられる。ラーメンでも耐えられるな、とここ何年かで思うようになった。でも豆腐は無理だ。豆腐が、例えば病気になったときにお医者さんから禁じられてしまう類の食品でなくて本当によかった。

 1ケタ代から30代まで、僕は絹ごし派だった。ヨーグルトのようなあのニュルンとした食感にやられていた。

 40代になって、木綿派に転向した。ニュルンだと難しいが、ガサガサ感があることで、単独でも白ご飯のおかずになり得ると気づいたのだ。

 豆腐の質が向上したということなのか、消費者の好みが変化したということなのか、最近の木綿はガサガサ感が弱まり、絹ごしに寄っているような気がする。それは少し残念。

 僕は1日1丁豆腐を食べる。半丁はインスタントみそ汁にぶち込み、残りの半丁はそのまま食べる。文字どおり、そのまま。薬味なし。しょうゆもなし。

 まず、しょうゆを買ってないのだ。調味料のさしすせそは全部ない。と言いたいところだが、インスタントみそ汁は買ってるから、そ、はある。さしすせ、がない。

 なきゃないでどうにかなる。味がない食べものなどないのだ。僕はありのままの豆腐を楽しむ。素材の味を活かすどころではない。素材の味しか活かさない。

 そこまで豆腐が好きならこだわりもあるのかと言えば。そんなものはない。どこぞから取り寄せたり、スーパーで高いそれを買ったりはしない。僕が買うのはスーパーでも最安、1丁30円の豆腐だ。それで充分おいしい。満足できる。毎日でも飽きないのだから豆腐はすごい。

 2022年1月の時点で、僕が発表させていただいた小説は33作。銀座が好きなので、そのうちの22作に銀座という言葉が出てくる。今回、調べてみたら、豆腐も大健闘。何と、12作に出てきた。

 実際、僕の小説をいくつか読んでくださっているかたなら、豆腐の頻出にお気づきかもしれない。

 例えば、『とにもかくにもごはん』(講談社)。自分でも気に入っている部分なので、丸々引用してしまう。

 みそ汁にはいつも豆腐が入る。豆腐とわかめとか、豆腐と長ネギとか、豆腐と白菜とか、豆腐とえのき茸とか、必ずそんな組み合わせになる。豆腐が中心。豆腐に何を組ませるか。アルゼンチン代表のフォワードはまずメッシ。そのメッシと誰を組ませるか、みたいなもんだ。豆腐はメッシ。そこは固定。

 登場人物に言わせているが、これ、実は僕自身の感覚だ。

 それこそ10代のころにはこうなっていた。僕があまりにも豆腐好きだから、母がそうしてくれたのだ。みそ汁に豆腐はマスト。ナイス母。

 ついでにもう一つ。『食っちゃ寝て書いて』(KADOKAWA)で、僕は主人公の作家にソフトクレームの電話をかけさせている。

 1丁30円だからどうしてもその会社の豆腐を買いたいのだが、容器の透明なフィルムがどうにもはがしづらくなった。だから、苦情の意味ではなくお願いの意味で、お客様窓口に電話をかけるのだ。

 これも僕の経験談。といっても、経験したのは、フィルムがはがしづらくなるところまで。電話はかけてない。かけたらこんな感じかな、と想像して書いた。結果、1丁30円という破格の値段で豆腐を提供してくれる会社さんに小説のなかで感謝の気持ちを表明することができた。ちょっとうれしい。

 歳をとれば人の好みは変わる。僕も絹ごし派から木綿派に転向した。とはいえ、今なお絹ごしも食べる。豆腐そのものが好き。そこは変わってない。

 もう50すぎだが、僕は今後も1日1丁ペースを続けるつもりでいる。豆腐業界にとっていい消費者であり続けるつもりでいる。

 映画、音楽、小説、と来て、最終回が豆腐。

 何でもいいとはいえ。いいのか、これで。

 ただ、書いてみて思った。

 好きなものに腐の字が入っているのは悪くない。