高度成長期の「専業主婦前提レシピ」
――印象に残ったキーワードが「台所革命期」です。高度経済成長期、そしていまがまさにその時だとのことですが。
実はその前にも、昭和初期ぐらいに台所革命期はあるんですよ。中流階級が生まれて専業主婦も出てきて、台所改善運動で立ち流しの台所が都市部で普及してくるという変化がありました。とはいえ、それは中流階級以上のほんのひと握りの人たちの間で起きていた変化でした。
そうした変化が大衆化したのが戦後です。高度経済成長期には、立ち流しの板の間のキッチンがデフォルトになり、電気・水道・ガスのライフラインが広く整う。スイッチ一つで火が起こせるのは大きかったですね。薪を割っておいて火加減をずっと見ながらでは、一度に一つの料理しかできない。それが、2口コンロの普及もあるし、火鉢や七輪もあって、火の元が複数になることで並行調理が可能になる。
そうした台所環境の変化に加え、国を挙げて食料増産に励んだ時代です。流通もシステム化されて、庶民も肉や魚を毎日食べられるようになり、食料の選択肢が非常に増えたんです。また、当時は戦後間もないということもあって痩せている人が多く、タンパク質と脂質の摂取が奨励されました。今までのレシピでは対応しきれなくなったんです。
――多様な食材を使ったレシピが求められていくんですね。
そうです。高度成長期に女性の専業主婦化は進んで、1975年には既婚女性の54.1%が専業主婦というピークに達しました。メディアでは、専業主婦を前提としたレシピが紹介され、日替わり献立が必要だと教育されたんですよね。「主婦の友」などさまざまなレシピを紹介する主婦向けの雑誌がものすごく売れましたし、テレビでも1957年にNHKで「きょうの料理」が始まって、高度成長期の後半にはテレビの普及も後押しとなって、一気に洋食や中華料理が家庭に広まっていきます。
ネットが生んだ時短・簡単術
――一方で、いまの台所革命期では時短・簡単レシピが求められていて、実際にも多い気がします。それだけ共働きの女性が当たり前になったということなんでしょうか。
いまの台所革命期は2010年代後半ぐらいから起こったと私は見ています。それ以前も共働きで働く女性は多かったのですが、2015年ぐらいから育休後も働き続ける女性が増えるんですね。1992年に育児休業法(現在の育児・介護休業法)は施行されていますけど、企業の現場態勢や保育所の数が追いついていませんでした。でも、そういった部分が整備されて、不足はあるにしても保育所に子どもを預けられるようになってきたんです。給料が上がりにくくなり、多くの家庭が共働きでないと食べていけない状況になったというのも影響しています。
女性たちが働きながら、子どもを育て、家事を回していかないといけない状態になっていく。時短レシピ自体は、80年代ごろから働く女性が増えていくなかで少しずつ進化してはいたけれど、もうそのやり方では追いつかなくて、さらなる時短術が求められたんです。
そんななか、登場したのがブログやSNSから生まれた料理家たちです。レシピの発信者と料理の作り手がコミュニケーションできるようになって、時短・簡単レシピがどんどんブラッシュアップされていくんですよ。食材を少なくする、使う調理道具を減らす、調理家電に頼るなど、いろんな時短アイデアが出てきました。そうした発信がレシピ本になってベストセラーになる。これは私が勝手に言っているんですけど、80~90年代の時短ブームの三種の神器はスピードカッターと電子レンジとオーブントースターだったのが、いまはホットクックにホットプレート、そして進化した電子レンジレシピになったと思っています。
――時短レシピの劇的な進化はSNSやインターネットのおかげでもあったんですね。本書で気になったのが、「ここ10年の時短レシピでは合わせ調味料が駆使されることが多く、強い味付けが好まれるようになっている」という点です。
これは技量の問題もあるかと思います。強い味にして、食べた人が確実に美味しいと思えるものにするということです。調味料を組み合わせることは簡単で再現しやすく、技術を極めるよりは手っ取り早い。それと、多くの人が外食慣れしすぎて、強い味が求められるようになったこともあると思います。
また、合わせ調味料を使うと味は複雑になるけれども、レシピを見ないと作れなくなってしまうという側面もあります。レシピ通りに作ってその味を楽しむのも楽しいけれど、レシピをベースに自分や家族が好きな味にすることも実は大事なんですよね。インターネットでレシピが簡単に検索できてしまう時代なだけに、自分であまり考えなくなってしまっているんじゃないかなという気もしています。
料理は人を自立させる
――コロナ禍では、今まで料理をあまりしてこなかった人が料理と向き合うことになりました。私自身も料理に対する認識は大きく変わったのですが、阿古さんは何か変わりましたか。
私自身は元々在宅仕事なので特にないのですが、毎日料理することに、あちこちで悲鳴が上がっていることに驚きました。これだけ時短ブームが起こっていても、作り手にも食べ手にも「日替わり献立」が当たり前だと思っている人がまだまだ多いということです。
――確かに品数や日替わり献立に囚われている部分があるかもしれません。でも、自炊の機会が増えて毎日料理することの大変さを感じつつも、料理の効能というか、何かを取り戻していくような感覚もありました。
料理はやっぱり人を自立させるんですよ。自分で自分の口を賄うということは、自分で自分の人生をコントロールすることにもつながります。料理を作るために食材を買いに行く。そこで何が高いか安いかはもちろん、天候による農産物への影響、ゴミの問題などが目に入ってくるようになります。料理をすることが、大きく言えば経済や政治、環境など広く関心を持つきっかけになるんですよね。人間が自分らしく生きていくためのベースが、作って食べることなんですよ。
――これまで取材した料理家の方々も同じようなことを言っていました。料理が自立の術であることを学校の授業などでももっと教えてくれたらよかったのにと個人的には思います。
家庭科については、先日、藤原辰史さんと対談して(「現代思想」2022年2月号)家庭科はもっと重視されるべきだと盛り上がりました。家庭科って、多くの中学・高校では週2.5〜3時間と授業時間がとても少ないんですよね。料理だけでなく、家庭全般についてものすごく多岐にわたることが含まれているはずだし、他の教科とも連動すべきなのですが、軽視されている。この授業時間内では教えきれません。
「誰でもできる」レシピ本が人気に
――本書の執筆にあたっておよそ150冊ものレシピ本を読み込まれたそうですが、ここ最近のレシピ本の中で阿古さんの印象に残っているものを教えてください。
一つは滝沢カレンさんの『カレンの台所』(サンクチュアリ出版)ですね。これまでにも有元葉子さんの『レシピを見ないで作れるようになりましょう』(SBクリエイティブ)など、料理のコツを解説して自立の助けとする本はあったんですけど、それらの成果を集約したような本が料理家でない人から出てきた。担当編集者もレシピ本編集者ではなくて、新しい視点でレシピ本を作ってヒットしているのが興味深いですね。
それと、上田淳子さんの『並べて包んで焼くだけレシピ』(主婦と生活社)。この本は難読症の人に喜ばれたと聞いています。図示した方が文章よりも理解できるという人にもわかりやすいですね。この2冊とも実はSDGsの本だと私は思っています。
――どういうことですか。
『カレンの台所』は分量を細かく計るのではなくて、感覚で料理を作ることを教えています。レシピ用語じゃない言葉を使っているので、レシピ用語がわからない人にはとっつきやすいんです。「アクセサリーをつけるような気持ち」とかね。通じる人には、自分の感覚で料理をすることを教えてくれます。
『並べて包んで焼くだけレシピ』も初心者向けのレシピで、並べて包んで焼くだけなので、誰でもできる。この「誰でもできる」というのがこの2冊には非常によく表れていると思うんです。
――その見方は面白いですね。これまでレシピ本の通史を見てきて、今後こんなレシピ本が世に増えていくんじゃないかなという阿古さんなりの予想はありますか。
一人暮らし向けのレシピ本はもうちょっと充実するかと思います。あとは、オーブン料理が増えていく予感もしていますね。調理家電で数時間待つことができるなら、オーブンも問題ないんじゃないか。時間はかかるけど、それこそオーブンに入れてしまえばほったらかし調理ですから。
SDGsでいえば、ビーガンレシピがもっと出てくるんじゃないでしょうか。大豆ミートのレトルト食品などはたくさん出ていますけど、私なんかはレトルトや冷凍食品じゃなくて、素材そのものが欲しいんですよね。現実的には豆腐やナッツを使ったレシピが増えてくるかなと思います。フードロスという点では食材の使い切りレシピももっと出てきそうです。定番ではあるんですけど、最近ではナスのへたやピーマンの種も食べるレシピなどがありますね。
――一人暮らし向けのレシピは確かにもっと欲しいです。特に都会の一人暮らしのキッチンには制約が多すぎます。
そうなんです。都会の一人暮らし向け物件のキッチンには、十分なスペースの調理台がないんですよ。ある程度所得がないと真っ当なキッチンが手に入らない。お金がないとキッチンが貧しくなるのが都会の悲しい事情ですね。個人的にも理想のキッチン探しをしていて、いま執筆中の家事についての本の次には、キッチンの歴史をまとめたいと思っています。