1. HOME
  2. 書評
  3. 「皆のあらばしり」書評 知識欲で幻の本追い騙し騙され

「皆のあらばしり」書評 知識欲で幻の本追い騙し騙され

評者: 江南亜美子 / 朝⽇新聞掲載:2022年01月29日
皆のあらばしり 著者:乗代 雄介 出版社:新潮社 ジャンル:小説

ISBN: 9784103543718
発売⽇: 2021/12/22
サイズ: 20cm/133p

「皆のあらばしり」 [著]乗代雄介

 知識欲に突き動かされ、熱狂の時を過ごす一人の高校生の姿を通し、学ぶことの面白さを大いに喧伝(けんでん)してみせるのが本書である。
 栃木県にある皆川城址(じょうし)で、地元の高校の歴史研究部に所属するぼくは、大阪弁を喋(しゃべ)る30代とおぼしき男と出あう。歴史に造詣(ぞうけい)が深く、明治期の地誌の下書きや当地の旧名家の蔵書目録に並ならぬ関心を示すその男は、どこか胡散(うさん)くさくて一筋縄ではいかなそう。しかし博識ぶりは本物で、それに魅了されたぼくは、ある書物についての調査に協力することになる。
 小津久足著「皆のあらばしり」。小津安二郎の遠縁、久足によるものと目録に記載はあるが、その他のどこにも記録のない本は実在するのか。新発見もしくは偽書か。男とぼくは、探偵とその見習いのように、幻の本の真相に迫っていく。
 スリリングなのは、濃密な会話劇で物語が進む点だ。素数の日の木曜ごとに2人が待ち合わせる城址公園は、螺旋状(らせんじょう)の曲輪(くるわ)を持ち、道行く人の姿をふいに見失わせる構造となっている。憧れと疑心の間で揺れつつ、素性も狙いもなかなか明かさぬ男にぼくは食らいつき、対話を重ねる。そして自分の有用性を認めさせるべく秘策を繰り出すのだ。
 「騙(だま)すということは、騙されていることに気付いていない人間の相手をするということだ」。これは物語最終盤の男の言だが、騙し騙される関係に、おのずと読者も巻き込まれるだろう。
 ぼくが圧倒されるのは男の知識量である。神社の手水鉢(ちょうずばち)の石の種類まで言い当てられ驚きを隠せないぼくに、男は「学ぶうちに知らなあかんことが無限に出てくんねん」とうそぶく。知識は世界に対する認識の解像度を上げる。歴史の深掘りは、人々の連綿たる営みの上にある現在を知ることだ。人文学の意義が問われるいま、本書のメッセージは真理の光となる。マウントでなく、知性で結びつく対等な関係。ぼくの憧れは私たちの憧れでもある。
    ◇
のりしろ・ゆうすけ 1986年生まれ。作家。2021年に『旅する練習』で三島由紀夫賞。『本物の読書家』など。