「あ、アスベスト君」
そう呼ぶような仲間意識がアスベスト(石綿)にはある。
1984年の作家デビュー前後に電気工をしていてアスベストを吸い込み、胸膜炎を患った。胸の奥から突き上げるせきを今も繰り返す。何で自分が。2007年のノンフィクション『石の肺』は怒りや悲しみを込めて被害の実相に迫った。ただ、アスベストを悪者にして「なかったこと」にするのは違和感があった。「有用なものとして稼がせてもらったし、そう信じたものに命を奪われるやりきれなさもある」
怒りや悲しみだけでは割り切れない。本作は、アスベスト被害に遭った人たちの喜怒哀楽を描いた短編小説集だ。きっかけは11年、アスベストによる中皮腫で亡くなったうなぎ屋の大将の家族に話を聞いたことだった。大将は子どもの頃、兵庫県尼崎市のクボタ旧神崎工場近くに住んでいて、飛散したアスベストを吸った。長い時間をかけて発症、うなぎ屋の開店直前に倒れた。「悔しい、無念や」という言葉を残して。
職人として腕を磨いてきた大将。自らの分身のように感じた。「発症したのは自分かもしれない」
収録作「うなぎや」の大将は年を取らない。注文したうな重は、何年経っても出てこない。「自分のなかの大将と、対話を10年続けていたというか。ずっと背中を見続けていましたから。別のことを書いていても、頭の片隅にありました」
社会には、つねに「死角」があると感じる。アスベストは有益とされて被害は覆い隠されていた。原子力発電も、コロナ禍にも死角はある。「死角で苦しむ当事者の代弁はできないけれど、書くことで少しは声を出しやすくはなると思う。成り代わることはできなくても、声を妨げないための努力は続けていきたい」(文・高津祐典 写真は本人提供)=朝日新聞2022年2月12日掲載