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「ブラックボックス」書評 「ちゃんと」の焦燥 獄中で一転

評者: トミヤマユキコ / 朝⽇新聞掲載:2022年02月19日
ブラックボックス 著者:砂川 文次 出版社:講談社 ジャンル:小説

ISBN: 9784065273654
発売⽇: 2022/01/26
サイズ: 20cm/161p

「ブラックボックス」 [著]砂川文次

 主人公のサクマは「遠くに行きたい」と願い続けてきた男だ。自衛隊に入ったのも、その後メッセンジャーとして東京の街を自転車で走り回るようになったのも、「ここではないどこか」へ行けるから。しかし、そうした行動力とは裏腹に彼の心はずっと停滞している。
 「ちゃんとしろちゃんとしろちゃんとしろ。記憶と思念が焦燥を搔(か)き立てる」。スーツを着てオフィスで働く正社員的なあり方が彼にとっての「ちゃんと」であるが、それは完全歩合制で体力がなくなれば引退するしかないメッセンジャーの仕事とはまるで違う。わかっちゃいるけど「ちゃんとしたところに入っても長続きしない」から、次の展開を考えられず、ぐるぐるしてしまう。同棲(どうせい)している円佳(まどか)に対しても、身勝手なセックスをしており、関係良好とは言いがたい。差し向かいの孤独がそこにはある。
 これはひょっとして大人になりきれない大人の茫漠(ぼうばく)とした不安と孤独を描いた物語なのだろうかと思っていると、思いがけない亀裂が現れる。サクマには自分でもコントロールできないほど激しい暴力性が潜んでいたのである。それが暴発することによって、彼の人生は「ちゃんと」の軌道からますます外れていく。
 税務署の職員と警察官に暴力をふるったサクマは、刑務所へ入る。意外なことに、そこは「ちゃんと」が最も近くに感じられる場所だった。「とにかく積み上げていけばいくほどに、ちゃんとしていけるのだ、という達成感が得られた」。メッセンジャー時代のぼんやり感から一転、理解力と解像度が上がっていく様子を読むのが心から楽しい。
 更生しているのかはよくわからない。でも、自分と他者、自分と世界の繫(つな)げ方を理解し始めたのは確かだ。その小さな光明に少しだけ胸をなでおろす。どこへも行けない塀の中でも、人生は終わらないし、むしろ新たに始まることだってある。たとえ世間が「終わってる」と言ったとしてもだ。
    ◇
すなかわ・ぶんじ 1990年生まれ。元自衛官、現在は地方公務員。本作で第166回芥川賞を受賞。