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外岡秀俊の志 「強権に確執を醸す」の持続 作家・久間十義

朝日新聞記者で小説家だった外岡秀俊氏。中原清一郎というペンネームも使った。昨年12月に死去=2014年、東京都内で

 外岡秀俊が『北帰行』で世に出た頃を、私は昨日のことのように覚えている。突然彼から電話があって、高校からの友人何人かといっしょに喫茶店に呼び出されたのだ。

 「文藝賞を受賞した」

 はにかんだ声でそう告げられて、ついに仲間内から作家が出たか、と興奮した。当時私たちは「自主ゼミ」と称して集まっては、文学議論を吹っかけあい、その後はお酒になだれ込む、よくある疾風怒濤(どとう)(?!)の日々を送っていた。外岡の受賞が我がことのように誇らしく、このとき私たちは幸せだった。

新聞と民主主義

 『北帰行』は主人公が石川啄木の足跡をたどって北へ帰る物語だ。昏(くら)く甘い抒情(じょじょう)と、大学紛争後のアパシー(政治的無関心)期における青年の決意表明が同居していた。彼が東大在学中で端正な美男子だったことも手伝い、ベストセラーになった。

 誰もが小説家になると期待したのに、外岡は翌年朝日新聞に入社した。彼の「志」は新聞記者にあった。「社会の木鐸(ぼくたく)」という言葉が素直に信じられた時代だった。警察回りを皮切りに経験を積み、米国特派員などを経て日米、戦争、沖縄、香港・中国と彼の活動範囲は広がっていった。1995年、阪神大震災に遭遇した彼は、この国のシステムが崩壊する現場に立ちあい、その体験が震災記『地震と社会』(上下巻、みすず書房・品切れ)に結実。震災報道は彼のライフワークの一つになった。

 しかし満つれば欠くる世の習い。ちょうどこの頃インターネットの発達が、彼の拠(よ)って立つ「新聞」という場所を揺るがし始めた。メディアの凋落(ちょうらく)はそもそもネットが「中(メディア)抜き」という性質を持っているため、押し留(とど)めようのない流れだろう。けれどもう一つ、新聞が勢いを失った理由は、「戦後」という理念が信じられなくなったことと関係していた。

 「戦後」が信じられていた時期、マスコミは輝いていた。それがいったん疑われだすと、当然と見なされていた「平和」や「民主主義」のような概念を、人々は見直す必要に迫られた。

 そんなとき、外岡秀俊はロンドンにいて『傍観者からの手紙』を送ってきた。議会制民主主義がどんなふうに歴史的に鍛えられ、現在、英国の儀式や様々な慣習として生きているかを伝えてきたのである。特派員の彼は自らの足で民主主義を見に行って、眼前の西洋の文物にこと寄せて「民主主義」や「平和」を可視化しようとしたのだ。

 これはかなりロマンティックな努力である。デビュー作『北帰行』で彼が啄木の『時代閉塞(へいそく)の現状』に言及し、「強権に確執を醸す志」を強調していたことを思い出す。ロンドンからの報告に、崩壊する「戦後」の正体を明らめんとする、密(ひそ)かに醸された彼の「志」を感じるのは、一人私だけだろうか。

圧巻の陰謀小説

 最後に、彼は5冊の小説を上梓(じょうし)したが、エンターテインメントに分類される『ドラゴン・オプション』について、あえて一言したい。失われた清朝の十二支像の行方を巡り、背乗(はいの)りあり、中国政権内部の暗闘あり。彼の新聞記者としての経験と知識が融合した、これは圧巻の国際陰謀小説である。濃密な風景描写、緻密(ちみつ)なディテールに魅了されて、この小説を携えて香港のそこかしこを訪ねたくなる読者も多いはずだ。

 私はといえば、作者である外岡の案内で、仲間と一緒に懐旧旅行で香港を経巡りたいと切実に思う。しかしそれは叶(かな)わない。彼はもういない。文学とマスコミの黄昏(たそがれ)で奮闘して、あっという間に彼岸に去っていった。残された私たちは、今はただ、大切な宝を喪(うしな)った事実を万感の思いで噛(か)み締めるしかない。=朝日新聞2022年2月19日掲載