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「忘却の野に春を想う」書評 3・11の深層照らす思索の交歓

評者: 戸邉秀明 / 朝⽇新聞掲載:2022年03月05日
忘却の野に春を想う 著者:姜 信子 出版社:白水社 ジャンル:エッセイ

ISBN: 9784560098776
発売⽇: 2022/01/05
サイズ: 20cm/256p

「忘却の野に春を想う」 [著]姜信子、山内明美

 惨事をどう記憶するか。11年目の3・11を前に、困難はいっそう募る。次々と完了する復興事業の傍らで、本当は何を喪(うしな)ったのか、気づく痛覚は衰えるばかりだ。これで、「奪われた野にも春は来るのだろうか」。植民地期の朝鮮の詩人が残したこの一節を起点に、荒れ野に「春」を取り戻すための思索が始まる。
 本書は、在日韓国人の作家と東北生まれの社会学者による往復書簡。姜は植民地化による「難民」の末裔(まつえい)として根なし草を自認する。三陸の「百姓の子」である山内は、神々の気配が濃厚な民俗世界を抱えたまま研究者になった。「棄郷」と「土着」の対照的な眼(め)をもつ二人が、沖縄、アイヌ、障がい者への差別など、いのちを台無しにして省みない「近代」による様々な犠牲をともに想(おも)い起こし、東北の今につなげる。
 たとえば復興途上の陸前高田で訪ねた人影まばらな碁盤目状の街路。そこに、ハンセン病療養所の「閉ざされた小さな人工の町」で感じた、「近代の極致」のもたらす荒涼さが二重写しになる。整序された記録にはない、歴史のつながりを見いだす想像力が、惨事の深層を照らし出す。
 当初、東京五輪に「周縁から礫(つぶて)を投じよう」と始まった掛け合いは、昨年夏まで2年余り続いた。コロナ禍で露呈した生命軽視に直面して深まる思いは、やがて水俣に焦点を結ぶ。
 石牟礼道子が『苦海浄土』で描いた「水俣世界」は、近代化が覆い尽くせぬ「知」を体現する。それは、津波を「自分たちの暮らしの一部」としてきた「三陸世界」の漁師たちが、防潮堤の壁に示した違和感に通じる。東北は、価値のせめぎ合いの場であり続けている。
 思索の道程で再発見される、土や水と「季節の暮らし」、歌や踊りが結ぶ共同性。ささやかでも、それが「人間の骨格」を形作る。大切なのは、誰とどのように発見に至るかだ。時間をかけた言葉の交歓が、私たちをも、その過程に誘う。
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きょう・のぶこ 1961年生まれ。作家▽やまうち・あけみ 1976年生まれ。宮城教育大准教授(歴史社会学)。