「らしい」候補作は『正欲』『夜が明ける』『星を掬う』
本屋大賞に求められているのは心を代弁してくれる存在だ。
最近の候補作を見ているとそう感じることが多い。本屋大賞は2022年に第19回を迎える。20年近い歳月が経てば賞が担う意味や業界内の位置づけも変って当然だ。「全国の書店員が選んだいちばん売りたい本」が投票で決定するという賞だから、小説として最も優れているものが受賞するとは限らないし、読者の気持ちがそのまま反映されているわけでもない。毎回それなりに納得する結果を出してきたからこそ、ここまで続いてきたのだ。
2020年代に入っての日本は、新型コロナウイルス蔓延の影響もあり、閉塞感に包まれてきた。不満や怒りをぶつけようにも手段はなく、ただ不全感が募っていくばかりだ。読むことを通じてそうした気持ちを解消したい、新しい可能性を見つけたいという願いが一つの傾向として現れているのではないだろうか。
そういう意味では、朝井リョウ『正欲』、西加奈子『夜が明ける』、町田そのこ『星を掬う』の3作が特に本屋大賞らしい候補作だと私は感じた。正しさを常に求められ、間違った行為をしてしまうかもしれないことに対する恐れが委縮につながる現状を的確に切り取ってみせた『正欲』、いったんそこに陥ったら脱出することが難しい貧困の残酷さを二人の男性の人生に託して描いた『夜が明ける』、時に踏みつけにされるような人生を送りながらも歪まず、確固たる信念を得ることになる女性が主人公の『星を掬う』、甘い、柔らかい物語ではないが、読み通すことによって心の張りを取り戻すことができる。
国家と個人を考える『同志少女よ、敵を撃て』、リアルな生活の息遣い『スモールワールズ』
新人のデビュー作だが直木賞候補にもなった逢坂冬馬『同志少女よ、敵を撃て』は、主人公に都合よく事態が進む構成などにあまり感心できず、個人的には買えない。だが、ロシアによるウクライナ侵攻という世界的危機が起きた現在では、国家がいかに個人をないがしろにする存在であるか、それに対してどのように抗うべきかという道筋を教えてくれる本として読まれる可能性はあるだろう。一穂ミチ『スモールワールズ』はすでに長い筆歴のある作者による初の一般小説作品集だ。収録作6篇で描かれるのは、どれも閉ざされた息苦しい世界で、行間からはその中で生きる人々の息遣いが聴こえてくるようである。
これら5作は現代を的確に描いたという点で高く評価する。ただし、個人的な一押し作品は別にある。小説の読み方というのは単一ではないので、評価すると言いつつお薦めが違ってしまうのはどうぞご勘弁願いたい。
『残月記』を評価せずにどうする
私見では、2021年に国内で発表されたすべてのエンターテインメント小説の中で、断トツの一位は小田雅久仁『残月記』であった。2009年の日本ファンタジーノベル大賞受賞作『増大派に告ぐ』、2012年の『本にだって雄と雌があります』、そして本作と13年間で3冊しか著書がない寡作ぶりだが、どの作品も非常に完成度が高い。
『残月記』は月をモチーフとする3篇が収められた中篇集だが、読者を見たことがない場所に連れていくぞ、想像力の限界に挑戦するぞ、という作者の意欲が溢れており、その熱情を受け止めるだけの筆力もあって、凄まじいほどにおもしろい。特に架空の設定である月昴病を題材とした表題作は、苛酷な運命を背負わされた主人公が生命の力でそれを覆そうとする冒険小説であり、障壁によって引き裂かれた関係を描く恋愛小説であり、人がいかにして天才の高みに達するのかという芸術小説でもあって、あまりの充実度に溜息が出そうになる。しかも、伝染病とそれに対する国家の失策という現実的な主題をも扱っており、完全である。
これ以外の2篇も存在の不安を家族小説の形で描いた「そして月がふりかえる」、技巧の限りを尽くして物語を飛躍させる「月景石」と、実に素晴らしいのである。これを評価せずにどうする、と言いたい一冊だが、すでに吉川英治文学新人賞を贈られていることもあり、もし本屋大賞を受賞できなくても私は我慢することにする。でもあげてもらえたら嬉しい。
直木賞受賞作『黒牢城』、駆け引きの小説『六人の嘘つきな大学生』
次点は米澤穂信『黒牢城』だ。こちらもすでに直木賞に輝いており、今さら感があるかもしれないが、本作はデビュー20年目の年に発表した作者初の時代小説である。意欲作であり、できれば高く評価してもらいたい。
デビュー作『氷菓』に始まる学園ミステリー〈古典部〉シリーズが米澤の代表作だ。アニメ化されたことで読者層は広がった。米澤は人間心理の不思議さを謎の主題として扱うことが巧い作家であり、それを個性の際立ったキャラクターたちの青春小説として書いたことが〈古典部〉シリーズの強い特徴となった。『黒牢城』は戦国時代の物語であり、織田信長に叛旗を翻した荒木村重と、彼のために虜囚となった黒田官兵衛が主人公だ。村重と官兵衛の心理的な駆け引きが軸となっており、強いキャラクターを中心に据えて書くという姿勢は他の作品と共通している。米澤はそこまで計算していなかったと思うが、作品の中心にあるのは戦争によって追い詰められた人間心理であり、これも昨今の国際情勢と重なる部分がある。孤立した人間がどのような虚妄を胸に描くかという小説なのだ。
もう一作挙げるとすれば浅倉秋成『六人の嘘つきな大学生』である。浅倉は最近注目されているミステリー作家で、特殊な設定を盛り込んだ謎解き小説を書いて好評を博してきた。本作は少し毛色が変っていて、就職試験に臨む大学生6人の物語である。会社の事情により、全員が入社できるはずだったのに1人だけに合格者が絞られることになった。議論の中で1人が勝ち残るという生き残りを描くのが前半部だ。ここは駆け引きの小説。議論を通じて各自の秘密が暴かれていき、ある事態が起きる。そうなってからは隠された動機を暴く謎解きの小説になっていく。ミステリーの構造を使って、心を開いて互いをわかりあうことが難しい若者の孤独を描いた小説と見ることもできるだろう。これまた優れた現代の小説なのである。
本屋大賞の歴史から受賞者を考察してみた
これまで19回で本屋大賞の候補に挙がった作家は113人、この中には伊藤計劃の絶筆を円城塔が引き継いだ『屍者の帝国』、阿部和重と伊坂幸太郎の合作『キャプテン・サンダーボルト』というペアも含まれる。候補になった作品が最も多い作家は伊坂幸太郎で、その『キャプテン・サンダーボルト』を除いても12作もある。次点は森見登美彦の6作、3位が西加奈子の5作である。
当然のことだが、開始から第4回ぐらいまでは繰り返し候補になる伊坂がむしろ例外で、毎回初めての顔ぶればかりが揃っていた。第5回で初めて5人が複数回目の候補という事態になる。以降、特定の作家に人気が集中することが何度かあった。投票で最終候補は決まるので、このへんの波が生じるのは仕方ないことだろう。新しい候補が最も少なかったのはこの第5回と第8回、第12回、第16回だ。それぞれ4人が新候補だった。第5回の計算が合わないのは、新候補の桜庭一樹は『赤朽葉家の伝説』と『私の男』の2作が挙がったからである。第5回は伊坂幸太郎が『ゴールデンスランバー』で受賞したが、第8回は東川篤哉『謎解きはディナーのあとで』、第12回は上橋菜穂子『鹿の王』、第16回は瀬尾まいこ『そしてバトンは渡された』と初候補の作家が受賞している。今回の第19回は、半数の5人が初候補となる。
最近の受賞傾向を見てみると、第17回が凪良ゆう『流浪の月』、第18回が町田そのこ『52ヘルツのクジラたち』とやはり初候補から受賞作が出た。先行きが見えない時代には閉塞した空気を打破してくれる新しい才能を求める気持ちが強くなるのかもしれない。
これらの状況を鑑みると、今回もやはり初候補の作家が強いのではないかと私は思う。冒頭に書いたような現代を切り取る作風ということも考慮にいれて、一穂ミチ『スモールワールズ』を最有力候補と見た。心の一位は『残月記』、予想は『スモールワールズ』ということでどうか。結果発表(4月6日)が楽しみである。
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