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根本宗子さん「今、出来る、精一杯。」インタビュー わかり合えなくても、その「先」を目指したい

根本宗子さん=松嶋愛撮影

どんな形でも対話を続け、コミュニケーションを諦めたくない

──今回の小説の原案となった戯曲「今、出来る、精一杯。」は、根本さんが23歳の時に下北沢の駅前劇場で初演された作品です。この戯曲は、どんな想いを込めて作られたのでしょうか?

 人間はわかり合えないけれど、諦めてしまったら何も生まれない。どんな形でもいいから対話を続けて、その「先」を目指したい。でも、人と人がわかり合うのって本当に難しいよね……みたいなことを、当時、初めてちゃんと考えた機会だったんです。それを形にしたのが戯曲の「今、出来る、精一杯。」でした。

──わかり合えなさの「先」を描く舞台として、スーパーマーケットを選んだ理由を教えてください。

 当時住んでいた家の前にスーパーがあったからです(笑)。その店は「どんな人が働いているんだろう?」と好奇心をかき立てられるほど、パートさんに覇気がなくて。バックヤードの様子を知りたくて、実際に面接を受けに行きました。あとは大きなモチーフとして自分の中に「生きるために食べる」みたいな感覚が漠然とあった時期だったというのもあります。「食べる」ことをするためにスーパーって行くじゃないですか。材料を買うのも、お弁当を買うのも、調味料を買うのも。

 駅前劇場で上演されていた舞台を何本も観た結果、閉鎖的な社会を描いた方が小屋の雰囲気に合って魅力的に映ると感じたのも理由として大きいですね。それでスーパーのバックヤードに集う男女の群像劇にしよう、という枠組みができあがりました。

──わかり合えないことの「先」を描くことで、観客の方に受け取ってもらいたいことは?

 「コミュニケーションを諦めないで」みたいな想いは、劇作を続ける上で頭の中にずっとある気がします。それは各自自分のためにも、他人のためにも。ご覧になったことがある方は苦笑しつつ頷いてもらえると思うんですが、私の戯曲は言葉数がひたすら多い。自分の気持ちを「これでもか」ってくらい説明する人物がいっぱい出てきます。

──今年公開の映画原作「もっと超越した所へ。」(2015年)から根本作品を拝見しているので……各キャラクターのお気持ち吐露合戦をイメージしました。マシンガンみたいにどんどんセリフが飛び出しますよね。

 昔の私の作品は特に、相手に向かって「私がいまこんな感情になってるの知ってよ!」とか「こんな状況に陥ったのはアンタのせいだから何とかしてよ!」とか、とにかくまくし立てる。普段言いたいことを飲み込んでしまう人がその様子を見てスッキリしてくれたらいいですし、何より嬉しいのは「これ、人に話していなかったけど言ってみようかな」みたいな気持ちになってもらうことですね。

──ご自身の舞台を、コミュニケーションを始めるきっかけに?

 そうですね。「夕ごはん何がいい?」と聞かれて「何でもいい」と答え続けていた人が「今夜は何かリクエストしてみようかな」って変わるくらい、ささやかでいい。でもそういう確かな変化を起こせたら、私が演劇や小説に取り組む意味があるのかな、と思います。

当て書き、好きなシーンから書き進めて広がった物語

──登場人物は12人で、当時の根本作品にしては多い方ですよね。言うことを信じてもらえない最年少バイト(篠崎七海)、自分の意見を捨てた新人(坂本順子)、一見完璧に見えるバイトリーダー(西岡加奈子)、他人の人生を壊し吃音症になってしまった店員(金子優一)に、思わせぶりな態度を取る彼氏持ちの女(遠山陽奈)など……少しご紹介するだけでもバックヤードの不穏さが浮かびます。

 12人を描き分けたのは当時の最多記録です。キャストが魅力的に見える役を当て書きする形で、好きなシーンから書き進めていきました。できあがったら前後のシーンを加える。たとえば金子と彼が想いを寄せる遠山の会話を書いたあとに「じゃあ遠山に彼氏がいたらストーリーが広がるかも」と同僚の恋人を登場させます。

──中でも車椅子で現れ「弁当をタダでよこせ」と迫る長谷川未来には、不慮の事故で外傷性大腿骨頭壊死症を患い、中学・高校の6年間を車椅子で過ごした根本さんご自身が投影されていると見る向きもありますね。

 これもやっぱり、わかり合えなさというか……車椅子という立場の「わかってもらえなさ」を表現する上で、私がいちばん説得力をもって書けると思ったんですよね。実際、過去3度の上演ではすべて私が演じていました。3度目は誰かにやってもらおうと思ったんですが、この役を渡されるのはいろんな意味でしんどすぎるよな……と思って結局自分でやりました。

──その後、根本さんは俳優業を退きました。4度目の上演があるとしたら、長谷川をどなたに演じてもらいたいですか?

 誰でも選んでいいなら即答で趣里ちゃんにお願いしたいなぁ。だけど作・演出がやっていた役をやるの……普通に考えてイヤでしょうね(苦笑)。でも私じゃできなかった長谷川になると思うので観てみたいです。私は良くも悪くも自分ごと過ぎたので。

小説は演出の延長線上にあった

──このタイミングで「今、出来る、精一杯。」の小説化に踏み切った理由を教えてください。

 音楽劇としてリメイクした2019年版を、今回の編集担当についてくださった柏原(航輔)さんが観にいらしていて。感想を添えて「小説にすべき作品だと思います」というメールをくださいました。その後、お会いするまで気持ちが定まらず。というのも、小説化する意義がないとダメだと思ったんです。意義をきちんと見出すことができたらお引き受けしよう、とだけ決めてフラットに話を聞きに行ったら……目の前に現れた柏原さんは、私の演劇がめちゃくちゃ刺さる典型みたいな人でした(笑)。読者像が一気に具体化したから、小説も書きたくなって。

──柏原さんのどんな点が、根本さんを小説に走らせたのでしょう?

 思い返せば、ご観劇のあとに頂戴したメールからその匂いはしていましたね。感想を述べていたはずなのに、いつの間にかご自分の話が始まっているんです。笑ってしまう一方で、「あれ? 私、観たあとに誰かとコミュニケーション取りたい気持ちになって欲しくて、ずっと戯曲を書いて来たんだよな」と気づいて。柏原さんの自分語りって、私が観客にそうあって欲しい姿そのものでした。そんな人が読みたそうにしているから書いた、に尽きます(笑)。

──小説は、これまで根本さんが手がけてきた舞台・映像・ラジオドラマの脚本と比べてどんな点が異なっていましたか?

 いちばん違ったのが、セリフをいくら書いても口にしてくれる俳優がいないこと。それがいちばん寂しかったです。脚本だと「この役者のこういう声で、こんなことを言ってもらえたら」と想像しながら言葉を選んでいるところがあったのに、小説にはその材料がありません。そこが普段とまったく異なる作業でした。

──登場人物の内面が一人称のモノローグで綴られるこの小説は、章ごとに語り手となる登場人物が入れ替わります。特にバイトリーダー西岡が語り手の章は……

 (食い気味に)西岡さん、どう映りました?

──小説で描かれるバイトリーダーの考え方を知るにつれ、舞台よりだいぶ尻軽だと思いました。舞台と比べて、小説は各キャラクターの内面を膨らませていかれましたか? 舞台の西岡さんって、小説ほどビッチじゃなかった気がして。

 小説の登場人物はみんな一人称で、起こったことに対して湧き上がる考えを自分の視点で述べていて。特に西岡さんはイヤな女の権化みたく書いたので、一人称が本っっっ当にキツかったんですよ(苦笑)。今世では自分はそうならないけど「どこかで何か間違っていたらそうなっていたかも」みたいな、わずかな部分を手繰り寄せて、とにかく嫌いな人間性を描きました。でも一方で、自分の言葉になっていないと浮いてしまう。そこをなじませる作業がしんどかったですね。

──モノローグに込めた登場人物「らしさ」は、どうやって獲得していったんですか? 男女12人の描き分けが本当に鮮やかでした。

 私は稽古をしている時、「家ではこういうこと考えている人」といったような、台本にはない部分の話を俳優にしたり、お互い話したりしていて。小説ではそれを、演出のサブテキスト的に書いた感があります。なので「演出家をやっていてよかった」と思いましたね。戯曲を書くだけで演出しない劇作家専業だったら、小説にできなかったかもしれません。そのくらい、自分の場合は演出の延長線上に小説がありました。

──「今、出来る、精一杯。」を小説化して、根本さんが得たものって何ですか?

 (少し考えて)演劇はいつも初日から客席にお客さんがいて、世に出した瞬間を一緒に見届けているから反応を受け取りやすいんですよ。でも個人のタイミングで読んでもらう小説だと発売後にリアクションはきっとじわじわ届きますもんね。だから実感できていないというか……正直まだわからないですね。

 でも、ひとつすごい収穫だと思ったのが……4度目の上演をやる時の稽古に役立つサブテキストができたことです。この小説を読めば、役者はだいぶやりやすくなる気がする。

──各キャラクターが感情の揺れ動きを一人称で語っているから、腹落ちして役に臨めそうですね。

 自分以外のキャストが演じる登場人物の理解を深める助けにもなるんじゃないかな。2019年版で最年少バイトの篠崎を演じてくれた伊藤万理華ちゃんが、この間の対談でそう話してくれました。この小説を読んだら「新人の坂本さんがどんな闇を抱えているかよくわかった」って言っていて。向き合う相手の役も理解した状態で稽古すると、だいぶ話が早いと思う。座組みとしてパワーアップできる気がしました。

「演劇」だからできること、「小説」だからできること

──小説を執筆したことは、今後の劇作にどう影響すると思いますか?

 今回は一人称で、キャラクター一人ひとりを章ごとに分けて書いていったので……今度は演劇で、言葉がガチャガチャ重なってみんな一斉に喋りまくる作品をつくりたくなりました。同時に喋ることって小説では一応不可能とされていますよね。言葉が重なる瞬間が好きなんですけど描けない。たとえば、フワちゃんみたいなキャラクターを書きづらいんですよ。もう「フワちゃん」って書くしかない。ああいう方がアイコンとして登場したからわかりやすいけど、フワちゃんみたいな喋り方や動きの女の子は、きっと小説よりも演劇のほうが見せ方としてはいろいろあるなと思いますね。

──演劇なら、フワちゃんの表現が可能に。

 はい(笑)。特に私はぶっ飛んだ人物を描くことも多いので、そういうキャラクターが登場する舞台を小説にしたらどうなるんだろう、と思います。今回の小説にもいるにはいるけど、やっぱり舞台でのインパクトとはまた違うと思うんですよね。俳優の力で役が立体的になっているので、舞台の場合は。

──新作小説を書いてみたいと思いますか?

 それこそ、いまの話じゃないですけど……舞台として上演することを前提とした小説に挑戦してみたいです。ベストセラーの舞台化はあっても、最初から演劇をやることを意識した小説って意外とないですよね? 芥川賞の候補に挙がった松尾(スズキ)さんの小説『クワイエットルームにようこそ』(2005年、文藝春秋)も、映画(2007年)になったけど、舞台化はされていませんしね。あるいは、舞台化も映像化もさせない決まりで小説を書くのも、おもしろそう! 絶対これは小説だけで出すってものをいつか書けたらいいなとも思います。

──その縛りがあると、小説の題材やテーマに変化が生まれるのでしょうか?

 ギャンブルの世界を描いてみたいですね。これを演劇でやろうとすると、表現できる範囲に限界があるので。たとえばパチンコなら、スポンサーの関係でいろんな台を用意できない。あと当たりが来てほしいタイミングをコントロールできないので、台はやっぱり嘘になっちゃう。小説ならそういう制約を超えられるかな、って期待しちゃいます。あと、街として歌舞伎町が好きで、ホストクラブに通い詰めるおばちゃんたちの演劇をやったことがあるんですが……水商売の世界にもう一度トライして、小説にしてみたいとは思っています。