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「砂まみれの名将」書評 どん底が「一番楽しかった」わけ

評者: 稲泉連 / 朝⽇新聞掲載:2022年05月21日
砂まみれの名将 野村克也の1140日 著者:加藤 弘士 出版社:新潮社 ジャンル:スポーツ

ISBN: 9784103545118
発売⽇: 2022/03/16
サイズ: 20cm/253p

「砂まみれの名将」 [著]加藤弘士

 野村克也という監督は、このように野球と向き合ってきた人だったのか――。2020年に亡くなった彼の「ある3年間」に光を当てた本書を読み、そんな思いが何度も胸に生じた。
 本書が照らし出す「3年間」とは、2002年11月から社会人チーム・シダックスの監督を務めた時期だ。世を騒がせた夫人の脱税事件によって阪神の監督を辞任。チームが3シーズン連続で最下位となった時でもあり、誰もが〈もうノムさんは終わった〉と思っていた。まさにどん底を味わった67歳の野村氏が、プロ復帰を遂げるまでの「空白」の期間――スポーツ紙の番記者として当時を間近で見てきた著者は、それがいかにかけがえのない時間だったかを描いていく。
 シダックスの創業者との篤(あつ)い信頼関係、都市対抗野球での苦い采配ミス、そして、選手のプロ入りをめぐる葛藤や球界再編騒動の裏舞台……。この時期について聞かれた際、野村氏は「あの頃が一番楽しかった」と答えたという。
 本書を読むと、その理由がよく分かる。彼はミーティングで人間学を語り、「野球」というスポーツを様々な角度から掘り下げるのを常としてきた。名言と哲学に満ちた独特の指導を受け、各々(おのおの)に新たな野球観を獲得していくアマチュアの選手たち――。
 「選手を育てる上で一番大切なのは愛だ。愛なくして人は育たない」
 「みんな、好きな野球じゃないか。野球が好きで、ここまで頑張ってきたんだろ」
 そんな励ましや言葉を受けて成長する彼らの姿が、野村氏自身をあらためて「野球」に出会わせ、再生させていったのだ、と。
 エピソードの一つひとつに触れるうち、私は次第に温かなものが心に流れ始めるのを感じた。「番記者」であることを超えて対象に深く入り込んだ著者の眼差(まなざ)しが、現場の様々なドラマをすくい出していく過程に胸を打たれた。
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かとう・ひろし 1974年生まれ。スポーツ報知デジタル編集デスク。同紙公式YouTubeのメインMCも務める。