骨髄移植後も次々「せっかくひどい目に遭っているなら」
「先月まで嘔吐(おうと)がひどくて、嘔吐しない日は下痢でした」。元気なころより35キロ以上やせた。4年前に骨髄移植を受け、今も4~6週に1回通院し、免疫抑制剤を主体に15種類の薬を日々飲む。
「薬を飲まないと、移植したドナーの白血球が俺を異物として攻撃するので大変なことになる。いいかげん慣れてくれよと思うんですが」。通院のほかは外出せず、肩や指の関節の痛みを抱えながら四六時中執筆する毎日だ。
花村さんは骨髄異形成症候群を発症し、2018年9月に骨髄移植を受けた。2カ月半の入院後、自宅療養になったが、間質性肺炎を患い、さらに膀胱(ぼうこう)炎、前立腺炎、尿道炎の三つを併発した。ステロイド製剤の副作用で背骨を4カ所圧迫骨折するという試練まで待っていた。
自らを題材にしようと決めたのは骨髄移植で入院中のことだった。「せっかくこれだけひどい目に遭っているんだから。のたうちまわっているだけじゃつら過ぎる」
真っ白になって書く、極限の痛み
冷徹なまでに自分の病状を見つめる。病状や治療法についての情報を詰めこんだ。「病気の部分はとことんデータを挿入するやり方で。小説としてはマイナスなんですが、それで最後まで読んでもらえるものをつくりあげられたらいいなと思った」
退院後、肺炎になり、そして「シモの三重苦」だ。自殺も考えたほどの痛みだった。「きりのつく段落まで書かねえとな、とやっているうちに少しずつ良くなってきちゃった」
京都住まいの花村さんの家のベランダからは哲学の道の桜が見える。「その桜を見たころ、痛みが薄れてきたんですよね」
だがほっとしたのもつかの間、背骨の骨折だ。「4カ所折れてると聞いた時、よく生きてるなと。起きる時に痛くておしっこがもれちゃうんです。自分がかわいそうになりました。こんなにまでなって生きているのかと」。その様子ももれなく記されている。
そんな日々で、書くことは救いだった。執筆に集中すると、痛みや苦しみが脇の方へどくようだった。
題名は西陣の反物の工場で働いていた時に使った漂白剤からとった。
「真っ白になって執筆をするしかない」という結末のフレーズが印象的だ。「リアルになったのは俺はちゃんと死ぬんだという実感です。これまで死ぬということは他人事(ひとごと)だった。死ぬのは苦しいですよ」
この実感をもって、花村さんはさらりと言い切る。「小説とは、生きること、死ぬことをどう描くか」
苦痛に満ちた作品だが、自らを笑いとばして話す。移植によって血液型がO型からAB型に変わり、「性格も変わりました。怒らなくなった。気が短くて手が出るタイプだったのに爆発しなくなりました」。
中学生と小学生の娘2人の話になると、ことさら笑顔がはじけた。副作用で白くまだらになったスキンヘッドを「娘たちはうずらの卵みたいって言うんですよ」とうれしそうに話した。(河合真美江)=朝日新聞2022年6月1日掲載