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「すべての月、すべての年」 細部にまで満ちる著者の気配 朝日新聞書評から

評者: 金原ひとみ / 朝⽇新聞掲載:2022年06月11日
すべての月、すべての年 ルシア・ベルリン作品集 著者:岸本 佐知子 出版社:講談社 ジャンル:小説

ISBN: 9784065241660
発売⽇: 2022/04/22
サイズ: 20cm/373p

「すべての月、すべての年」 [著]ルシア・ベルリン

 二〇一五年にアメリカで再編刊行された「A Manual for Cleaning Women」に収められた四十三篇(ぺん)の内、二十四篇が前作の『掃除婦のための手引き書』に、残りの十九篇が本書に収録されている。完結編と言っても良いだろう。
 前作に引き続き、オートフィクション(自伝的小説)とも呼べるような、著者の気配が濃厚に漂う短編集だ。それぞれの短編は完結しているが、ベラ・リン、サリー、コンチ、ベンなどたびたび登場する人物もおり、連作短編のように読めなくもない。一人称のものもあれば三人称のものもあり、著者を彷彿(ほうふつ)とさせる主人公のものもあれば、別の人の視点から著者を彷彿とさせる脇役を描いているもの、一人称多視点のものもある。
 などと分類しようとするのが馬鹿馬鹿しくなるくらい、本書は「どこからどこまででも好きに読みな」と言わんばかりの飾らない、気取っていない本だ。本書を適当に開いて目に入った一文を読み、その一文にしっくりこなかった人はそれ以上読むべきではない。その一文を好きだ、と思った人はこの著者の全ての文章が好きだろう。それだけ短編そのものも文章も完成され、細部にまでルシア・ベルリンが満ちているのだ。
 法律で禁止されているため闇の堕胎工場を訪れたり、夫のために麻薬の密輸をする羽目になったり、刑務所行きを逃れるため麻薬中毒患者向けの治療プログラムに参加したり、十もある罪状で告訴されたりと、型破りなストーリーが描かれるが、不思議と安心感がある。小説の完成度が高いからだろうかとも思ったけれど、読みながらこの安心感は対本ではなく、対人のそれに近いと気がついた。
 赤ん坊が誰かの腕の中で感じる安堵(あんど)、愛し合い信頼し合う恋人と一緒にいる時の無敵さ、憧れの人、あるいは尊敬する人と共にいて刺激を受けたり魅了されたりする至高の喜び、ルシア・ベルリンの本を読んでいる時、この三つを合わせたような気分になる。この心地よさは、小説内で著者が誰も批判しない、批評しないという特性にもよるだろう。彼女は全てあるがままを天気のように受け入れる。そして常に誰かに惹(ひ)かれ、何かに魅せられていて、それでも徹底的な俯瞰(ふかん)を保ち、さらに内容の濃厚さに反して、決して内省的にはならない。
 こんなに渇いても、人は愛せるし、こんなに汚くても、人は気高いし、こんなに希望がなくとも、人は生きられる。その事実を天気のように受け入れるほかないのだと、隣で微笑(ほほえ)まれているような読書だった。
   ◇
Lucia Berlin 1936~2004。米アラスカ生まれ。4人の息子をシングルマザーとして育てながら、学校教師、掃除婦、電話交換手、看護助手などをして働く。1977年、作家デビュー。『掃除婦のための手引き書』。