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村田沙耶香さん「信仰」インタビュー 小説を信仰し、実験し続ける

村田沙耶香さん

村田沙耶香、異星人説!?

――表題作「信仰」は、主人公の「私」が、同級生の石毛に「新しくカルト始めない?」と勧誘されるシーンから始まります。石毛はでたらめのカルトを誰かに信仰させ、金を巻き上げようとしていますが、原価1万円にも満たない“高級時計”を集めているし、「石毛に騙されるやついる?」と笑う同級生たちは、皿1枚50万もする食器ブランドに夢中になっている。ここには宗教に限らない、さまざまな形の“信仰”が描かれていますね。

 ちょうどその頃、「“現実”に勧誘すること」について考えていたんです。たとえば、なにかにとてつもなくハマってる友達に対して、「今染まっちゃってるだけでしょ」という扱いをしたとき、その人にとって大事にしていることを軽視して、自分の考える現実に勧誘している感覚があって。それって暴力性があるっていうか、そういう自分に違和感や恐ろしさを覚えて、その正体を知りたいと思いました。

――主人公は「原価いくら?」が口癖の現実主義者ですが、そんな「私」の「現実に対する信仰」に着目していたんですね。別の短編「生存」は、65歳時点の生存率によってA~Dランクに人々が判定される世界を描いていますが、この小説の初出はコロナ前の2019年夏。生存率をあげようと必死になる人々の様子や、「生存率ってウイルスなんじゃないか」というセリフなど、予言めいています。村田さんの小説にはいつも、地球人の繰り広げるあれこれを、宇宙から観察しているような異星人の視点を感じるのですが、「生存」を読んで、やっぱり村田さんって異星人なのでは?って思ってしまいました。

 それはまったくの偶然ですが(笑)、コロナについては、大規模な心理実験を見ているような怖さがありました。私は自分の友達やよく接している媒体からの情報を信じるけれど、別のものを信頼している人々はまったく別のことを信じていたり。しかもそれが近しい人たちの間でも起こるようになったと感じます。

 オンラインで友達と話していて、「今度は直に会いたいね」というのが、数年後のゼロコロナになったら、ということなのか、テラス席でなら、ということなのか、探り合いになっていたりして。それまでは、近しい人はみんな同じものを信じている人たちだったけど、コロナになったら急にバラバラになって分断されていって……。

――コロナもまた、それぞれの「信仰」と言えそうですね。村田さん自身、信仰しているものはありますか?

 小説、ですね。私は小説を信仰しすぎていると思います。子どものころ、ワープロに書いたものが空にあがって、それを神様が選んで本にする仕組みなんだと思ってたんです。自分が書いている、というよりは、見たものを書き留めている、という感覚なんです。小説を書くときはまず、頭の中の水槽に、人や設定を入れて、その人と摩擦しそうな人も入れてみるんです。すると自動的にそれらが動き出し、私は、ただそれを誠実に書きとめます。たぶんそれって、自分の深層心理が反映されているんでしょうけど、そこに現れた小説が自分を裏切っていっても、自分は小説を裏切らないで書く、と決めています。

――なるほど、その書き方だから俯瞰的な視点が感じられるんですね。

平凡な傷つき方だから書けること

――本書に収録された2篇のエッセイでは、自分を異物と感じ、周囲にそれがばれないよう振る舞う様子が書かれています。ご自分をずっと異星人のように感じてきたのでしょうか。

 異星人というか、自分をみんなより一段低いものとして考えていますね。小さい頃から自分は「可愛い子ども」を演(や)れる子になれない、と感じていたんです。でもこれって、平凡な傷つき方だと思っていて。周りの人も言葉にしないだけで、こういう傷を誰もが持っているんだろうなって。

 「誰もそれでは傷つかない」ということで傷ついている人の小説も大切だと思うけど、平凡な傷つき方をするあさはかな私だからこそ、そのあさはかさに対して解像度を上げて書くことができるかも、って思っています。あさはかな人間の心理が内側から見えるっていうか……。あさはかな自分って、小説にとっては便利だなって思います。

――たしかに、みんなと同じようになれない感覚は誰もが持っていますね。

 うまく地球人として振舞える人でも、きっと多少の違和感は誰もが持っているんだと思うんです。感動的だと評判の映画を観ながら、本当に自分は感動しているんだろうか、とか。でもその違和感って、じつは大事なものだと思うんです。その奥には自分の本当の言葉が眠っていて、そこをみんなに合わせて覆いかぶしてしまうと、「本当は苦しい」「こういうことは生きづらい」って思ったときも、言えなくなってしまう。世界に言わされている言葉だけが自分の言葉になって生きていくのって、辛いんじゃないかなって、勝手に思っていて。だからいつも主人公には違和感を持たせるようにしています。

小説家という実験室で

――本書では、小説もエッセイもとくに明記されずに並列されています。イギリスから「旅」をテーマに依頼された小説や、ドイツから「松方幸次郎とカール・エルンスト・オストハウスの架空の出会い」をテーマに依頼された小説など、成り立ちも様々ですね。

 制約があって書いたものもあるので、一冊にまとめるのはどうかなって思っていたのですが、出来上がってみると、通底しているものがあって。どんなテーマを与えられても、結局自分の書き方を貫いて、好き勝手にやってるんだなって今回気づきました。

――それは書きたいことが一貫しているということでしょうか。

 書きたいことというより、知りたいこと、でしょうか。人間の暴いてはいけない真実とか、意識下では絶対にあけないふたとか、人間の精神の奥深くの、まだ言語化されていない謎を知りたいという欲望が、小さい頃から異常にあって。それを水槽の中で言語化することで化学反応が起き、見えてくるものがあるはずだと思っています。小説家という実験室でしか見えないことを探求していきたい。私はこれからも小説を信仰し、実験をし続けるんだと思います。