1. HOME
  2. コラム
  3. 季節の地図
  4. 「違う」と言う機会 柴崎友香

「違う」と言う機会 柴崎友香

 仕事をしていると必ず経験することに、自分の仕事ではないことを頼まれる、納得の行かない指示を受ける、があると思う。私自身、会社勤めをしていたときにしばしばあった。頼むほうは「ちょっとやっといて」という感じかもしれないのだが、そのたびに理不尽な状況に疑問を抱いたり、このやり方にするとかえって面倒になるのにと悩んだりした。

 一つ一つの業務はそれほど大きな負担ではない。それに対して私は、異議を申し立てたり違うと言ったりしたことはほとんどなかった。立場が上の人に向かって交渉をするよりも、黙ってやっといたほうが早く済む。年齢も下で権限もない自分がつべこべ言ってはいけない、いつか周りの人が解決してくれるのでは、などの気持ちもあった。

 それが間違っていたことに気づいたのは、自分が辞めるときだった。後任の人に引き継ぎをする段になって、自分が引き受けてきた仕事は全部、その人がやらないといけなくなったのだとようやくわかった。前任の人はやっていたとなれば、その仕事に異議を申し立てるのはますます難しくなるだろう。最初にその仕事を頼んだ経緯は忘れられて、前からそうなっている、と物事は進んでいってしまう。自分にも「正解」がわかっていたわけではないけれど、質問すればよかったこともあるし、話し合えばもっとよいやり方が見つかったかもしれない。違いますと言うべきときに言えなかったことの後悔がある。業務をやることになったとしても、なにかやりとりがあれば次の機会は変化があったかもしれない。なにも言わなければ、それでいいと思われてしまう。

 仕事だけでなく、家族など身近な人間関係でも、社会のもっと大きなことに対しても、通じることなんじゃないかと思っている。そして「その時言わなかったからもうダメ」ということでもなく、気づいたときに異義を申し立てていいし、そのとき自分ができることをできる限りやっていくのがいいのだと思う。=朝日新聞2022年7月6日掲載