ISBN: 9784394190271
発売⽇: 2022/04/27
サイズ: 19cm/270p
「チベット幻想奇譚」 [編訳]星泉、三浦順子、海老原志穂
荒野の中を砂煙をあげてトラックで走る「俺」が、地平線の端でうごめく黒い点、人? 動物? そんな影のような男を車に乗せてやる。そのみすぼらしい男はサガの町に「人を殺しに行く」という。「俺」はその男をサガの町まで送ってやる。
一方、その殺し屋は目当ての相手マジャを見つけたが、捜していたのは彼ではないという。殺し屋に代わって「俺」はそのマジャに会う。マジャは「俺」の姿を見てなぜか脅(おび)える。この「俺」とはこの小説の作者ツェリン・ノルブだ。なぜ彼が「俺」を見て、わなわなとのけ反ったのか? この謎は読者にもわからない。そしてあの殺し屋はどこへ?
マジャが脅えたのは、やがてこの物語の書き手によって殺される予感を抱いたからだろうか。そして、この「俺」、つまり作者であるツェリン・ノルブがマジャを殺すことになる。しかも消えた殺人者の所有していた刀で。でも、この物語はここで終わったわけではない。
フィクションが突然、現実と融合する。その瞬間、この物語は宇宙と同化する。その同化とはこの物語のいい加減さがそうさせるのである。
小説の中の登場人物の運命は全て作者の掌(て)の中にあるということだ。ひとりの人間の運命を思い通りにあやつる作者は神の代理か? すでにこのことが幻想奇譚の門である。と考えると、この小説は人間と運命(神)の問題をわれわれ読者に突きつけてくる。
本書を読みながら僕はモーパッサンの短篇(たんぺん)を思い出した。西洋社会の怪奇幻想小説のネタは19世紀後半のオカルティストのマダム・ブラヴァツキーによるところが大きいと、訳者のひとり三浦順子氏は指摘する。チベット人は元々お化け話が大好きらしい。本書のどの短篇も不思議な霊力によって読者を異郷に誘導するに違いない。
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ほし・いずみ▽みうら・じゅんこ▽えびはら・しほ 10人のチベット現代作家らによる13作を収録する。