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「村の公証人」書評 日常から時代の大きな変化描く

評者: 藤野裕子 / 朝⽇新聞掲載:2022年07月23日
村の公証人 近世フランスの家政書を読む 著者:ニコル・ルメートル 出版社:名古屋大学出版会 ジャンル:歴史・地理・民俗

ISBN: 9784815810894
発売⽇: 2022/06/01
サイズ: 22cm/344,17p

「村の公証人」 [著]ニコル・ルメートル

 遥(はる)か昔を想像する。何百年も前の人びとは、何を考えていたのだろう。英雄や大事件の記録は残る。だが普通の人びとの心の中身は、どうすればわかるのか。
 ミクロストリア(小さな歴史)は、人びとの日常から歴史を描く手法だ。特定の地域・個人に対象をしぼり、多彩な史料から細部を復元する。本書は「ミクロストリアの傑作」と名高い。
 舞台は、16世紀から17世紀にかけてのフランス中部の農村。中心人物は、ピエール・テラードという公証人とその一族である。
 ピエールは家長の業務や財産・貸借関係を次世代に伝えるべく、家政書に日々記録をつけた。誰それは「相続した全財産のうち九分の一しか請求できない」という具合に。著者はこの家政書を他の史料と照合し、村の日常を再構成した。
 すると、公証人の多様な顔が浮かび上がる。ある時は高利貸。ピエールは村人に金を貸し付け、多くの土地を手に入れた。厳しい自然環境と戦乱のなか、一族の勢力を拡大する手段だった。ある時は治療者にして魔術師。家族や家畜が患うと、薬草を処方し、悪魔払いの護符を作り、祈禱(きとう)した。
 記録をつけたのは専ら男性だった。女性は書くことを学ばず、家政書に記録されることも少なかった。それでも著者は、女性も相続でき、結婚時の持参金により将来が保証されえたことを見逃さない。
 家長の力は、近代の到来を機に変化した。ピエールの後を継いだ息子の家政書には、もはや護符や祈禱は記されない。治療行為から宗教的性格が消えたのだ。世界観が変わるにともない家長の統率力も弱まった。
 細やかな日常を通して、時代の大きな変化を描き出す。そうしたミクロストリアの醍醐(だいご)味が、本書には詰まっている。日々の営みには時代が映る。同時に、その営みこそが時代を動かす。それは現代でも同じだ。英雄や大事件が出てこない歴史の見方とその楽しさを、味わってみてほしい。
    ◇
Nicole Lemaitre 1948年生まれ。パリ第1パンテオン・ソルボンヌ大名誉教授(フランス近世・近代教会社会史)。