激しさを内に秘めた女性
――若松賤子という人物を描こうと思ったきっかけを教えてください。
本に載っていた小さなコラムに、『小公子』を日本で初めて訳した人物として若松賤子の名前がありました。『小公子』は知っていても、彼女の訳で読んだことはなくて、それでまず興味を惹かれました。それから、ペンネームに「賤」という字を使っていることも気になりました。彼女のことを書けたらなと最初に思ったのは、6年ほど前だったかと思います。
――若松賤子のどのような点に魅力を感じましたか?
幼い頃に会津戦争を経験されて、養女にも出されて、ご苦労が多いはずの人生ですよね。けれど、彼女の生涯をみたときに、すごく自然体で生きていらっしゃるように感じたんです。とても前向きな人ではあるけれど、自分を誇示してみせたり激情型だったりという印象ではなく、言ってみれば普通の女性としてしっかりと生きていたというか。明治期の運動家の女性たちには、ご自分を強く持っていて強い言葉で皆をあおっていくようなイメージの方々もおられる一方で、彼女は激しさを内に秘めていたのが印象的でした。
――梶さんはこれまで江戸時代を舞台にした作品を多く書いてこられましたが、本作『空を駆ける』では明治時代が舞台になっています。近代を舞台にすることの難しさと醍醐味はどこにありますか?
ふだんは江戸時代の古地図をよく見ているので、そこからイメージを立ち上げるんですが、明治時代についてはなかなかすぐにイメージが浮かんでこない。それは難しさではありました。ただ、私自身が横浜に住んでいたりもしたので、フェリス女学院のある横浜・山手についておおよそはわかっていました。それに加えて、明治期の横浜の地図や写真を見ながら雰囲気を立ち上げていく感じでした。一方で醍醐味といいますか、ちょっと冗談めいた話ですが、カタカナを使える喜びがありましたね(笑)。「フェリス・セミナリー」って文字にして書いたときは、なんだか嬉しかったです。
――たしかに、時代小説ではカタカナを使える場面が限られますね。
本作においてはカタカナだけではなく、時代小説的な要素を若干、排除することも考えました。会話も考え方も、明治期にどんどん変わっていく。新しい知識も入ってくるし、街も変わっていきます。維新の激しさとはまた違う、社会や人々の生活レベルでの変化です。そういう激動の時代のダイナミックさが出せればと。
――若松賤子という実在の人物をモデルにするにあたって、史実に忠実に描く部分と、梶さんオリジナルの脚色を入れる部分とのバランスはどのように考えましたか?
彼女の転機や岐路となった時期については、忠実に書きたいと考えていました。ただ、そのときに彼女が何を思っていたかは、やはり創作の部分も大きいです。過去に遡って彼女がどんな行動をしてきたかを考えつつ、史実と史実の間の空白を埋めるように彼女の姿を書いていく作業でした。私が書きたかったのは若松賤子の評伝ではなく、あくまでも小説です。全編を通じて主人公を「カシ」という名前にしているのもそのためです。
――つまり「若松賤子」でイメージを固定したくないと。
「賤子」でも本名の「甲子」でもなく、「カシ」なんです。彼女が思っていたことや苦悩は、現代を生きる女性にも通じるし、すごく共感できるものだと思いました。ですから、明治の文学者・若松賤子として見るのではなく、隣りにいるお友達のカシちゃん、みたいな感覚で読んでくださるとよいなと。
男尊女卑の時代、学ぶことに楽しさ
――会津藩士の父のもとに生まれ、養女に出されたカシにとって決定的な転機となるのが、フェリス・セミナリーを設立した宣教師メアリー・キダーとの出会いです。キダーとカシの師弟関係を描く上で大切にしたことは?
母親を早くに亡くし父親からも手放されたカシは、肉親との縁が非常に薄く、寂しい幼少期を過ごしました。フェリス・セミナリーはそんなカシが求めていたホームや家族を与えてくれた。カシはキダーに「母」を見ていましたが、キダー自身はそうした関係になることが、カシのためにはならないと考えていたのではないかと。といっても、キダーは慈愛をもってカシを育てることに力を尽くした方だと思うんですよ。情に流される関係ではないですが、それはカシを突き放すということではなく、彼女が自立していくことを望んでいたんだと思います。
――キダーと彼女をサポートする夫ローセイとの関係も素晴らしく、印象に残りました。
日本に女子教育が必要だというキダーの使命感を、夫もしっかり理解して、彼女の教育事業のために所属する派まで変えている。執筆のためにキダー関連の資料を読んでいたときにも、素晴らしいなと感じましたね。現代でも妻の仕事に夫が理解を示すのは簡単なことではないのに、今より男尊女卑が強かった時代ならなおさらです。そんな夫婦の姿に、カシが影響を受けたのは自然なことでしょうね。
――フェリス・セミナリーでのカシの青春の日々は読んでいて心が躍りました。仲間との友情や葛藤、そしてカシ自身の教育や文学への目覚めなど、明治期の少女たちの姿がいきいきと立ち上がってくる。
児童文学や少女小説、もしくは朝ドラのようなイメージで執筆しました。横浜は異国の情緒が漂い、新しいものが入ってきて街がどんどん変わっていった場所。しかも彼女たちは、封建制や身分制度をさほど植えつけられていない歳でフェリス・セミナリーに入り、先進的な教育を受けている。そこで学ぶことの楽しさや明るさを描こうとしたところはありますね。
――カシはフェリス・セミナリーを卒業後、母校の教師となり自活の道を歩んでいきます。そして恋を知り、海軍将校の世良田亮と婚約しますが、最終的に婚約を解消しました。
当時の女性で、婚約を解消するというのはとても珍しかったと思います。恵まれた婚約を破棄するなんてと周囲ががっかりするけど、カシはそれでも決断を下す。世良田亮は決して古い人間ではなく、女性が職業を持つことにも反対しないけど、自分の妻には仕事を求めず、家庭にいてほしいという。家庭婦人としての執筆なら許してくれるけど、これでは何かが違うとカシは感じるわけです。
――そしてカシは『女学雑誌』の執筆を通じて知り合った巌本善治と恋をして、結ばれました。明治女学校の教頭や『女学雑誌』の編集長を務める巌本は、カシにとって女子教育の理念や実践を共有できる対等なパートナーとなる。彼は大変魅力的な人物ではありますが、一方ではその身勝手さに驚かされる場面もありました。
巌本のことを、私は“夢追い人”だと思って見ています。信念を強く持っていて、走り出したら猪突猛進で止まらない。そういう人って、みんなに迷惑をかけるんですよ。周囲の男性たちはそれを見て引いていったりするんですけど、そんな彼のことを放っておけない女性っているんですよね。本当に罪な男だなって思います。
巌本は幅広く活躍していましたし、そこで学んだ女生徒たちにも思いは受け継がれていたと思うんですけどね。でも一方で、思い入れるあまりにカシや家庭をほったらかしてしまう。
――カシが新婚旅行の際に、「花嫁のベール」という詩を巌本に渡したというエピソードも印象的でした。
今あるようなあなたじゃなくなったら、私はあなたの元からいなくなってしまうという宣言ですよね。彼に対しての戒めとも言える。けれども、カシがあの詩を巌本にどんなふうに渡すかを考えたとき、暗い雰囲気の宣言ではいけないと思ったんです。「私はこう思ってるから、よろしくね!」という、明るい感じで描きたかった。
――新婚の夫にあの詩を渡すカシの姿は格好良かったです。その後もカシは、教師の仕事や創作活動を通じて、女子教育の必要性や女子の自立を説き、若い人たちを導いていきます。
もちろん、カシは幼少期から大変な目に遭っていたけれど、フェリスに入って教育を受けられた幸運を彼女自身、感じていた。それは自分の人生だけでなく、女性たちそれぞれに、自分が置かれている立場に気づいてほしいと思っていたのでしょう。女性たちが置かれている閉塞感や窮屈さ、生きづらさに気づき、考えてほしいと。そのためにも、教師の道を選んだのだと思います。
カシは講演もするけれど、本当はその場にいない人たちに聞いてほしい。聴衆としてその場に来てくれる人たちは、もうなにかしら気づいているわけです。でもそこに来て耳を傾けられない多くの人たちに、何かを届けたいと考えていたはず。だからこそ、文学という方法を選んだのではないかと思います。
先駆的なファンタジー
――カシは創作や翻訳にも熱心に取り組んでいきます。梶さんから見て、特に印象的だった作品などはありますか?
漢文的なものが多い明治の文学にあって、『小公子』の翻訳を言文一致のような形で行ない、やさしく読ませるために心を砕いていたのは素晴らしいことです。だからこそ、多くの人に届いた。それから、彼女自身の創作では「着物のなる木」という、ファンタジーの要素がある作品に惹かれました。
――女子への教訓を基調にしつつも、その中で異界に行って戻ってくるという、ファンタジー的な面白さを盛り込んだ先駆的な作品ですよね。
明治20年代にあんな作品が書けるんだっていうことが、楽しいというか嬉しかったんですよね。もし長く生きていたら、児童文学の中にもっとファンタジーを採り入れていった人だったのではないでしょうか。私小説的なものが多かったはずの当時の創作にあって、彼女はそうではなかった。彼女の想像力、文学性、文学に対する思いには強く惹かれます。歴史に「もし」はないのかもしれないけれど、彼女が長く書き続けられなかったのが本当に残念です。
――巌本との結婚後は子どもを産み育て、創作の充実感はありつつも、だんだんと結核に体を蝕まれていく。同じく文芸創作をされている立場として、カシに共感を覚えるところはありますか?
それは大いにありますね。創作のことだけでなく、仕事を持っている女性が皆、同じように感じていらっしゃることだと思います。女性が仕事をしたいと言うと、パートナーの男性は「いいよ」っていうじゃないですか。でも、家事や子育てなど家庭のことをどうするのか考えずに、結局全部女性任せにしたままの「いいよ」だとしたら、それは承諾を与えているだけで、きちんと理解をしてはいないですよね。そのことに思いが至らずに、安易に承諾するだけの人がいかに多いか。もちろん、少しずつ変わってきているのかもしれないけれど、そういう点の苛立ちはいまだにあります。カシの悩みや苦しみは、今の私たちにも親しいものです。
――実際、カシも対等なパートナーとして巌本と結婚したはずですが、子どもが生まれると教師としてのキャリアを諦めざるを得ないし、家を支えることになる。
カシはそれでも頑張るんですけど、やっぱり悲しくなっちゃいますよね。明治という時代の限界もあったかもしれません。が、現代にも共通するジレンマ。何をどうすればいいのだろう、何を変えなければいけないのだろうと考えさせられますね。
――そんな中で、作品後半に登場する櫻井鴎村はカシの理解者として好感度が高かったです。
私も好きです。巌本は信念のままにどこかへ行ってしまうような人ですけど、彼はカシの文学の理解者でありもう一人の同志でもあって、そばでさりげなくサポートしてくれる。たしかに巌本みたいな人も魅力的だけれど、櫻井みたいな人がいたらうれしいじゃないですか。北村透谷や島崎藤村など、強烈な人ばかりが周囲にいるなかで、ちょっと癒やしキャラみたいな役を彼には担っていただきました。
――終盤には明治女学校が火事になる場面が描かれます。もちろん、作品の結末としても悲しさはありますが、決して暗い終わり方ではないように感じました。作品の締めくくり方については悩まれましたか?
火事で『小公子』の原稿が燃えてしまったのは同じ創作者として、本当に切なかったですが、それがかえって彼女を奮い立たせたのではないかなって思います。それだけに、31歳という短い生涯を思うと、またさらに切なくもなってしまうんですけど。
でも、カシの人生を悲劇には終わらせたくないと思いました。本当に短い生涯でしたけど、ものすごく濃密で充実した人生だったと思いますし、そのことに賛辞を送りたかった。はじめに言ったように、カシは奔放なわけでも激情型なわけでもない。声を高らかに上げる人ではないけれど、静かに文字を用いて人々に考えを広めていこうとした彼女の人生は、とても尊敬に値します。
声を上げることの難しさ、明治も現代も同じ
――本作の舞台となる明治期は男女の不均衡が大きい時代ですが、そうした不平等そのものはいまだに現在形の問題でもあります。この本を今、手に取る読者の方々に向けてメッセージをお願いします。
カシが生きた時代は、女性の地位の低さに対して一生懸命声を上げる運動が起こってきた頃でした。現代でも、生きづらいと感じている女性はおそらくたくさんいると思います。それはLGBTQの方々も含めて不利な立場、窮屈な思いを抱えている、あらゆる人にとっての問題です。最近、何かと男性がやり玉に挙げられるようなかたちになっているのも、かわいそうな部分もなくはない。皆がどう折り合いをつけていけるのかを、もっと考えられたらと思います。もちろん、声を上げること自体だって大変だと思います。でも明治を生きた人たちも、そうだったんじゃないでしょうか。
――カシの生きた時代と社会的な条件は違っても、共鳴するものは少なくないですね。
現在はかつてのように、参政権や財産権がない時代ではない。でも今だって、たとえばいろいろな契約や手続きの際に、世帯主である夫の名前を書くように言われたりしますけれど、本当は著名している私自身の名前でいいはずですよね。そこに抵抗するのはもしかしたら小さなことで、自己満足かもしれない。でもそういうことから、少しずつ変えていける部分はあるはずです。
今は何をもって「自立」とするのかということも、本当にわからないですよね。精神的な自立、社会的な自立、経済的な自立……。もっともっと考えなければいけないところにさしかかっているのかなと思います。みんなで補い合って、みんなが励まされたらいいなと思いますね。