好書好日の「大好きだった」に寄稿していただけませんか、とお話を戴いたとき、「大好き」ではなく「大好きだった」という過去形の部分に心を惹かれた。
振り返ったとき眩しくて、けれども遠くて手に入らない、ビー玉の向こうに見える景色みたいな宝物はたくさんあって、時々取り出して眺めるその類の物事を、私は「大好きだった」と呼びたい。そんなガラクタたちの話ができるなら嬉しい。「ぜひ」と受けて、こうしてエッセイを書いているが、困った。大好きだった物事はえてして、いまでも大好きなのだ。これでは「だった」が生かせない。
だから、長年好きだが毎日触れない物事、という縛りをつけてみた。
一回目は、高校生のときに出会ったテレビ番組を話題にしたい。
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地球とは思えない景色。細粒な石英が積もりに積もった真っ白な砂丘が、ブラジル北部にある。衛星写真でも確認できるほどの広大な面積を持つ“シーツ”、レンソイス・マラニャンセス国立公園だ。
私がその光景に出会ったのは、2014年の冬のこと。夜10時から放映されていた、「地球イチバン」という紀行番組を通して。この番組は、海外の地球イチバンな場所を、芸能人が旅人として訪れ、その場所の暮らしを知る、といった趣旨の内容だった。
11月13日の放送回では、俳優の手塚とおるさんが旅人となり、ブラジルのレンソイス・マラニャンセス国立公園へ向かった。手塚さんはインドア派らしく、移動中も乗り気ではない。白い砂丘は「訪れた人の人生観を変えてしまう」と言われているが、「景色がきれいなんですよって言われると、そんなにきれいかなって」と手塚さんは期待していない様子だった。
しかしいざ目的地に到着すると、一面に広がる真っ白な砂丘は、筆舌に尽くしがたいほどの絶景だった。私はテレビ画面越しに心を奪われたし、渋っていた手塚さんも感動してはしゃいでいたので、まるで自分がそこにいるように感じられて嬉しかった。
白い砂丘には乾季と雨季がある。乾季には強風が吹き荒れ、その風が砂を運び、砂丘の姿を変動させる。雨季には低地に水が溜まり、魚がどこからかやってきて遊泳する。砂丘の奥地にはオアシスが2か所あり、それぞれに小さな村があって、迫りくる砂と村人が共存している。
手塚さんは、片方の村の村長夫妻の家へ宿泊することになった。村長はその村の生まれで、夫人は砂丘の外にある街の生まれだった。
村の暮らしは不便だ。ライフラインの設備は不十分で、病院もなく、満足な教育を受けることもできない。漁業頼りの収入は安定しないため、若者は街へ出ていく。何よりも砂だ。払っても払ってまとわりつく砂が、生活の邪魔をする。夫妻がかつて住んでいた家は、砂に呑み込まれて、いまや跡形もない。
結婚を機に砂丘の村へやってきた夫人は、砂にまみれる村の生活が大嫌いだった。しかし村で数十年を過ごしたいま、街へ戻る気は起こらない。「この村には何でもありますよ」と言い、「街への愛情をこの村と砂丘への愛情に交換しちゃったのよ」と彼女は応えた。「ここは本当に美しい地上の楽園よ」と。
大嫌いな場所を心の底から愛することって、すごく難しい。どうやって苦しい日々を乗り越えてきたのだろう、どうやって悩みと向き合ってきたのだろうと思っていたら、彼女は言った。
「どんな悩みも太陽に預ければ持ち去ってくれるのよ」
私は衝撃を受けた。胸を突かれるような衝撃ではなくて、視点が徐々に回転して180度ひっくり返るような、染み渡る衝撃だ。
どんな悩みも夕陽に任せて、その日でおしまいにする。乗り越えるんじゃなくて、預けてしまう。将来にまつわる尽きない懊悩と、日々の連続性に苦しんでいたあの頃の私には、彼女の生き方が眩しく映った。いまを生きていくためのヒントを見つけた気がした。
心底辛いとき、私は棚からDVDを引っ張り出して、ダビングしたこの番組を再生する。画面の向こうに映し出された遠地へ思いを馳せ、白い砂丘に沈む夕陽へ悩みを投げる。不足と充足が全くの対義語でないことを思い出し、自分だけの時間の流れを取り戻して、生活に戻る。年に一回見るか見ないか。その一回で、心が洗いたてのシーツみたいにまっさらになる。だから、「地球イチバン」のレンソイスの放送回が「大好きだった」映像作品。
いつか白い砂丘を訪れてみたいけれど、ちょっと怖い。色鮮やかでドラマチックな風景写真に感動し、撮影場所を実際に訪ねてみるとそうでもなかった、という経験がある。過剰に膨らんだ期待を超えてくる現実が数少ないように、私が訪れたい白い砂丘は、もはや私の頭のなかにのみ、存在しているのかもしれない。遠くに見えるぼやけた景色は、曖昧な輪郭をなぞって自ら線を見つけて描いた理想のままにしておいたほうが、美しく在り続けてしまうのだ。
うーん、でもやっぱり、一度は訪れてみたいような、みたくないような。小説で描きたいとは、ずっと思っているけれど。