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「遠い声をさがして」書評 死を見つめ、生を慈しみ続ける

評者: 藤野裕子 / 朝⽇新聞掲載:2022年09月03日
遠い声をさがして 学校事故をめぐる〈同行者〉たちの記録 著者:石井 美保 出版社:岩波書店 ジャンル:社会・時事

ISBN: 9784000615396
発売⽇: 2022/06/16
サイズ: 19cm/327p

「遠い声をさがして」 [著]石井美保

 事故や事件は、ある日突然大切な人を奪う。昨日までの世界が瞬く間に崩れ、出来事が起きたその時・その場に遺族は立ち尽くす。時間は残酷なまでに等しく流れ、遺族はその場にとどまる自分と、時に運ばれる自分とに切り裂かれる。
 本書は、2012年に起きた小学校の水泳学習での事故に関する、約10年にわたる記録だ。当時1年生だった羽菜(はな)ちゃんはプールで溺れ、搬送先の病院で亡くなった。文化人類学者である著者は、同じ小学校に子どもを通わせていた。事故後、羽菜ちゃんの両親の「同行者」として、学校への申し入れやインタビューを共にし、一切を記録した。
 両親の思いは、その時・その場で、なぜ・どのように事故が起きたかという点にあった。羽菜ちゃんの「最後の声」を聞こうとしたのだ。他方、学校の管理職や市の教育委員会は、事故を教訓に変え、今後に向けた対策を講じようとする。事故を「過去のこと」とし、「未来の安全」を志向する「回復の物語」だ。結果として、事故の全容解明はおざなりになった。
 両親は行政を相手に民事訴訟を起こす一方、第三者委員会の設置を強く求めた。だが、同委員会による再現検証は不十分なものに終わった。検証への疑義が門前払いされると、両親は自らの手で現場を再現し、検証し直す決意を固める。
 「同行者」は次第に数を増した。自主検証には69人の児童と、救護に関わった教員が参加した。当時を振り返り、自らの思いを語った教員や行政職員もいる。
 学校事故の根本原因は何か。「回復の物語」で失われるものは何か。本書から考えるべき事柄は多い。だが私が強く思うのは、両親と「同行者」たちが羽菜ちゃんの死を見つめ、その生を慈しみ続けたこと自体が、貴重な生の営みだということだ。砕けた世界は二度と戻らず、痛みしかないとしても、この世を共にした命のために、迷いながら奔走し、人は生きる。
    ◇
いしい・みほ 1973年生まれ。京都大准教授(文化人類学)。著書に『環世界の人類学』『めぐりながれるものの人類学』。