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鯨井あめさんに表現者として研ぎ澄まされたシンプルさを伝えたスピッツの「8823」

©GettyImages

 昔、親の車でスピッツのアルバム(おそらく『CYCLE HIT 1991-1997 Spitz Complete Single Collection』)がリピート再生されていた。小学生の私は曲調が気に入り、歌詞を聴きとって憶え、歌っていた。収録曲のなかでも「君が思い出になる前に」以降の曲が好みで、特に「青い車」と「スパイダー」が好きだった。しかし親が別のアーティストの曲を流すようになり、私も自然とスピッツから離れた。

 高校生になって、改めてスピッツを聴くようになった。きっかけは「8823」だ。
 今回は「8823」を話題にしたい。

「8823」は、イントロからかっこいい。ギターのリフがすごくかっこいい。リズムもかっこいい。隼が一羽、真っ黒な空を飛んでいく印象を受ける。時々羽ばたきながら、風に乗り、振り返ることなく、どこまでも。

 何よりサビの「君を自由にできるのは 宇宙でただ一人だけ」「君を不幸にできるのは 宇宙でただ一人だけ」という歌詞に、私は惚れた。

 なんてかっこいいんだろう! 宇宙という大規模な枠組みのなかで、君を自由にできるもの、不幸にできるものは、君以外に存在しない。君は誰にも左右されない。君は君次第なのだと歌い上げるスピッツ。最高にロックだ。

 高校生の私は、難解な言葉で綴られた歌詞や、キャッチーかつ強烈なフレーズが好みだった。だから「8823」の印象的で断定的なサビが大好きだった。一方でAメロの歌詞は、「シンプルすぎて味気ないなぁ」と感じていた。

 時は流れ、大学生になった私は、好きな曲の歌詞を聴きとってタイピングすることにハマっていた。一種の写経のようなものだ。自ら打ち込むことで「やっぱり好きだなぁ」と歌詞の良さを再確認できる。

 ある日、スピッツの「8823」を選曲した。サビの大好きなフレーズを自分で打ち込みたかった。せっかくなので、Aメロからタイピングを開始した。

さよならできるか 隣り近所の心
思い出ひとかけ 内ポケットに入れて

 ここまで打ち込んで、愕然として、曲を停めた。自分が打ち込んだ文字を読み返した。
 誰もが知っている言葉で構成されている。しかし、こんな言葉の並び、私には絶対に作れない。

 まず、「さよならできるか」というフレーズからすごい。始まりからお別れの言葉だ。しかも「別れを告げて」ではなく、「さよならできるか」と自問する。〇〇できる? と大人が子供に尋ねるように。びっくりするほど柔らかな口語体が、最後の「か」で一気に硬さを増す。次いで馴染みの環境を、「隣り近所の心」と言い換える表現力たるや。そしてその出立に、「ひとかけ」の「思い出」を持っていく(馴染みの場所は、思い出ができるくらい大切な場所だったのだ)。「思い出」をどうやって持っていくのか? 隠すように、あるいは大切に、「内ポケットに入れて」(内ポケットのついた服を着ている。ジャケットだと動きづらい。コートかもしれない)。
 たったこれだけのフレーズに、これでもかと情報が込められている。

 出立する旅人の状況を説明された後、「8823」はこう続く。

あの塀の向こう側 何もないと聞かされ
それでも感じる 赤い炎の誘惑

 旅に出る理由は「塀の向こう」にあって、見ることはできない。人伝に「何もないと聞かされ」ている。けれど自分は「感じる」、「赤い炎の誘惑」。だから行く。伝聞ではなく、自分を信じて。そして音が高揚し、飛翔するようなサビに入る。

 感じたままを信じ、隣り近所の心とさよならした自分だからこそ、「君を自由にできるのは 宇宙でただ一人だけ」「君を不幸にできるのは 宇宙でただ一人だけ」が、強く響く。

 私は歌詞の美しさに惚れなおし、己の未熟さを痛感した。「シンプルすぎて味気ない」なんて感想で片付けて、その凄まじさをこれっぽっちも理解できていなかった。
 この“シンプル”は、研ぎ澄まされた“シンプル”だったのだ。

 世の中には、シンプルに見えるものがある。その“シンプル”が、水面にぷかぷか浮かぶ“シンプル”なのか、水面下に深い根を持つ“シンプル”なのか、遠目では判断がつかない。

 深い根を持つ“シンプル”である場合、水面下では、途方もないほど複雑な物事が混ざり合っている。しかし水面下の複雑さは、近づいて潜らなければ観測できない。だから遠目の印象で、「味気ないなぁ」とか「簡単そう」とか、「これくらいなら自分にもできそう」とか、思ってしまう。

「8823」のおかげで気がついた。研ぎ澄まされたものは、シンプルに映る。当たり前だけど、すごく大切なこと。気づけて良かった。私は根深くて複雑なものを作りたい。それを研ぎ澄ましていきたい。シンプルに見えるまで。

 それにしても、このエッセイを書くにあたって他の楽曲を聴き直しているが、どうしたらそんな、するっと体に入り込んでくる水のような、小粋で的確で馴染みのある、けれどもひとつの世界を構築してしまう、シンプルかつ独特なフレーズを生み出せるのか。
 マジでかっけぇぜ、スピッツ、と思うばかりである。