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朝採れやけん、おいしかですよ 青来有一

イラスト・竹田明日香

 はじめは3本ならんだふぞろいのものが、キュウリだとは思いませんでした。ズッキーニと見まちがうほどの太さのものが1本、長すぎる魔女の指のようなものが1本、太さ長さはふつうですが、J字に鉤(かぎ)のように極端に曲がったものが1本、平たいザルにならべて100円で売っていたのです。

 ちぐはぐで個性的なキュウリのトリオをちょっとあきれてながめていたら、路肩にたてたパラソルの陰に座っているマスク姿のおばあさんが、疑惑の視線になにか感じたらしく「朝採れやけん、おいしかですよ」と目尻に皺(しわ)をつくり恥ずかしそうに話しかけてきました。

 おばあさんの話では、長崎市の周辺の山間部から野菜などを売りに来ていて、朝採りのふぞろいなキュウリも「買(こ)うてくれるひともおるかもしれんよ」と近隣の知りあいが持ってくるらしく、山間の地の人々の静かな暮らしぶりやのどかな風景が、朴訥(ぼくとつ)な語り口によって浮かんでくるのでした。

 私が住んでいるところは商業地域で、大きなショッピングセンターもあれば中小規模のスーパーマーケットもあります。アーケードの通りには市場や産地直送の店もあり、生鮮の品々もたくさんならんでいます。近隣の広い地域からも買い物客が集まり、そうした買い物客を目当てに行商というほど頻繁ではないにしても、個人でカートのような手押しの保冷庫を引いて魚や手作りのかまぼこを売りに来るひとや、冬になって冷えこむとナマコを販売するひとの姿を見ることがありました。おばあさんもそんなひとりで、日よけのパラソルの下で、野菜や花などをならべて売っている姿をこれまでにもよく見かけていました。以前、彼女から買ったお盆に使う菰(こも)はイ草をしっかりと編んだ手作りで、青々とした草の香りが長く家に残っていた記憶があって、この日は大きなほおずきの赤に足をとめたのでした。

 一般に売られている農産物は、色やかたち大きさはだいたい一定で、テレビで見た果物の選別作業では、収穫の段階からふぞろいなものは除き、生産から流通まで品質管理が徹底されています。規格外のものも利用されても、その3本のキュウリのように極端にふぞろいのものがそのままのかたちで売られることはまずはありません。家族や近隣の人々で消費されていくのがほとんどでしょう。

 朝採りのなにがいいのかはわからないまま、ふぞろいなキュウリのトリオをとりあえず買って食べてみました。細いものは味噌(みそ)をつけて野菜スティックのようにぽりぽり齧(かじ)り、他の2本は切って野菜サラダに添えました。断面は薄い均一な浅葱(あさぎ)色でみずみずしく歯ざわりもよく、3本ともかたちはともかく味には問題はない、というよりもやはり新鮮でおいしいというのがすなおな感想で、パラソルを見かけると必ずのぞくようになったのはそれからのことです。

 それまではにぎやかな街の片すみで年寄りがぽつんとひとり商売をしているといった侘(わび)しい印象を持っていたのですが、客は思いのほか多く、彼女との世間話も楽しみにしている人も少なくはないらしく、長話をする女性の姿もなんども見ました。

 巨大な流通の外にささやかな小さなモノの流れがあるようです。そこには人間の声や手のぬくもりがまだ残っていて「おいしかですよ」という声には、無人のレジで黙々と精算をする大きなショッピングセンターにはない、ほっとする心地よさもたしかにあるのでした。

 長く続いたコロナ禍はそんなささやかな商売も脅かしたかもしれません。バス停のそばの広場で手押しの保冷庫に入れた獲りたての魚を売りながら、捌(さば)き方や調理法を教えていたもうひとりの高齢の女性の姿はいつのまにか見なくなりました。<=朝日新聞2022年9月5日掲載