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辻仁成「パリの空の下で、息子とぼくの3000日」 料理で思い共有し「親になる」

 「あなたは私にとって大切な存在だ」。そんな思いが込められた食事は、作る人にも食べる人にも「心の糧」となる。

 50代半ばでシングルファザーとなり、10歳の息子のために台所に立ってからの8年間。芥川賞作家による日記形式の手記を読みながら、親子の情愛に触れる読書もまた心の糧となることをしみじみ味わった。

 父子が暮らすのはパリ。なにげないエピソードから垣間見える思春期の少年の心中、反抗期の子を持つ親が抱く葛藤、逡巡(しゅんじゅん)。気負わず読める筆致なのに、普遍的なテーマを描いた文学作品のように心に触れてくる。

 かみ合わない親子の会話はどんな家庭でも珍しくはない。ただ、二人のルーツに着目すると見え方が変わってくる。

 日本から移り住んだいわば移民である父と、パリで生まれ育ちフランス語を母語とする息子。白ご飯は息子にとっては「和食」。親子といえども言語も食文化も異なる中で、対等な関係を築こうとする多文化共生の歩み合いなのだ。

 そんな背景もあるのか、父子のやり取りは哲学対話さながらに深い。家族とは、故郷とは、生きるとは……。わかりやすい正解のない小説を書いてきた作家のやり方が、親から子へと受け継がれているように感じる。

 言葉もあまり通じない異国で、多感な時期の子どもを育てる自信がなかったという率直な著者の吐露を見る。離婚による絶望と失意の底にあった自分を救ってくれたのは、言葉を介さないでも思いを共有できる料理と、息子の笑顔だったと。

 著者が「親になっていく」物語を、共感と涙で見守る全国の読者の姿まで想像してしまう。

 2018~22年のパリ、欧州の政治情勢やロックダウンといったニュースを時系列で振り返るルポルタージュとも読める。

 ところで、本書が出た後、息子さんは一人暮らしを始めたそうだ。「親ばか」を自称する辻さんが心配で、今から続編が気になるではないか。=朝日新聞2022年9月24日掲載
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 マガジンハウス・1980円=4刷3万3千部。6月刊。読者の9割が女性で、著者と同世代の50代がメイン。シングルファザーの子育て体験が、女性読者に広く受け入れられた。