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作家・宇能鴻一郎さん、復刊など相次ぐ 官能と狂気、時代を超えて

自宅のボールルームに立つ宇能鴻一郎さん=横浜市

 横浜市の高台に城のような洋館が立つ。宇能さんの自宅だ。600坪余りの敷地は草木に覆われ、玄関には暖炉の薪(まき)であろう丸太が積まれている。

 扉が開き、この館を自ら設計したという作家本人が出迎えてくれた。案内されたのは、グランドピアノが置かれた豪華なボールルーム。いまも月に1度は十数人の男女を招き、社交ダンスのパーティーを催しているという。

 「新しく本が出たら、女性からファンレターが来ましてね。うれしいです。書きまくっていたころにはなかったですから」。かつてインタビュー嫌いで知られた作家は、意外なほど物腰が柔らかかった。

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 宇能鴻一郎といえば、〈あたし、~なんです〉という独白体で書かれた官能小説だ。あっけらかんと性を楽しむ女たちを描いて人気を博し、夕刊紙を中心に一時は400字詰め用紙の換算で月に1千枚以上の原稿を書いた。

 だが、いま脚光を浴びているのは、そうした官能小説に軸足を移す以前の60年代から、主に中間小説誌に発表した作品群だ。純文学やエンタメといった枠にとらわれず、官能や狂気を通して人間の本質を描く小説が、時代を超えて読者に新鮮な驚きを与える。

 「官能は古くならないですからね。それに忠実であるかぎり、世の中の動きが写し取れる。意思に合わせて動かしてしまうと、右往左往してしまうんです」

 そうした信念に作家を導いたのが、幼少期の体験だった。第2次大戦中の子ども時代を旧満州で過ごし、終戦を迎えた。

 『甘美な牢獄』に収録された「雪女の贈り物」(66年)と「野性の蛇」(67年)には、当時の体験も写し取られている。いずれも敗戦後の旧満州で引き揚げを待つ少年が主人公だ。

 「家出をして、市場に行きました。人さらいがあるから終戦までは市場に行っちゃいけないと、親に言われていたんですよ。そしたら、甘くて、苦いような匂いが強烈でしたね。誰かがアヘンの匂いだと教えてくれたのを覚えています」

 市場では、中国人が包子(パオズ)と呼ぶ肉まんじゅうを蒸し器でふかしていた。

 「それがうまそうでね。うちから金を盗み出して食べ放題に食べまして、おなかを壊しました。食事のことは忘れないですね」

 幼い記憶に刻まれた光景は、ほかにもある。

 日本人の、多くは開拓民の凍死体がごろごろ転がっていた。進駐軍のソ連兵が、長い鉄砲を公衆便所に立てかけて用を足していた。逃げていく少年が後ろから撃たれた。「翌日まで血が残っていました。日常茶飯でしたから」

 引き揚げ後は食べるものがなくて飢えた。官能を主題に小説を書く原点を尋ねると、このときの「飢え」だと答える。

 「農村の子どもたちは学校に弁当を持ってくるんですけれど、僕は弁当がないからグラウンドに出た。恥ずかしいからです。満州は比較的に食べるものはあった。落差でもって、より飢えたんでしょう」 

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 後にエッセーを通じて美食家としても知られるようになるが、高齢になったいまは、肉と塩分を控える食生活だという。「その代わり、ビールでカロリーをとっています。医者はいかんと言うんですけどね」。そして、こう続けた。

 「ビールをやめなさいと言う医者のところに休診時間に行ったら、たばこの吸い殻が山のようにあるんですよ。これはなんだと言ったら、やめられませんと。その医者が大好きになりました」。にこやかに話すその姿に、官能を追い求めてきた作家の片鱗(へんりん)がのぞいた。(山崎聡)=朝日新聞2022年9月28日掲載

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 うの・こういちろう 1934年札幌市生まれ。本名は鵜野広澄(ひろずみ)。東京大学大学院に在学中の1961年、同人誌に載せた「光りの飢え」が文学界に転載され、芥川賞候補に。次作の「鯨神」で翌62年、芥川賞を受賞した。71年から徐々に官能小説に軸足を移し、日活ロマンポルノに多くの原作を提供した。