「虚空の人」書評 分かりやすい「物語」でなくても
ISBN: 9784163915760
発売⽇: 2022/07/27
サイズ: 20cm/297p
「虚空の人」 [著]鈴木忠平
本書を手に取ったとき、私はこの作品がこれから描こうとしているのは、清原和博という一人の元プロ野球選手が再起に向かおうとする物語だと思っていた。だが、最終頁(ページ)を閉じて胸に重く残ったのは、それとは全く異なる感情だった。この本はそのような分かりやすい「物語」では全くなかった、と。
覚醒剤の所持・使用で逮捕された清原氏に有罪判決が下されたのは2016年5月、それから4年間の執行猶予期間中、著者は本人のインタビューとともに、多くの関係者や今も彼を支えようとする人々のもとを訪ねる。
著者自身も含め、なぜ彼らは清原氏に惹(ひ)かれ、ときに傍(かたわら)に居続けようとするのか。その複雑な思いを聞き、各々(おのおの)にとっての出会いや半生を再現しながら、いずれその視線は通算13本ものホームランを打った甲子園時代の栄光へ向かっていく。
ノンフィクションの書き手は自らの取材を「旅」と称することがある。清原氏を巡るその旅の途上で、著者は彼の抱える深い闇の中に光を見出(みいだ)したいと願う。例えば、甲子園球場を再訪したとき、子供たちに野球を教えるとき……。
だが、見えたかに思えた光は明滅し、いずれは消えて深い闇に飲み込まれる。清原和博という人を描くとは、そういうことなのだというように。ときに諦念(ていねん)とも呼べそうな思いを抱きながら、著者はあることをきっかけに、一度は取材をやめようとさえ心に決める。
だが、この旅の行く末を知り、書くことでしか終わらせられない何かが著者の裡(うち)にはあったのだろう。たとえその末にたどり着くのが、暗鬱(あんうつ)な空の広がる荒野のような場所であったとしても――。その意味で、本書は清原氏を巡る著者自身の「物語」でもあった。様々な葛藤を背負いながら再び歩き始める書き手としてのその姿に、私は読者の一人として強く惹きつけられるものを感じた。
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すずき・ただひら 1977年生まれ。フリーライター。元日刊スポーツ記者。著書に『嫌われた監督』など。