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「奴隷会計」書評 発達した合理性 解放後も利用

評者: 神林龍 / 朝⽇新聞掲載:2022年10月08日
奴隷会計 支配とマネジメント 著者:川添節子 出版社:みすず書房 ジャンル:経営・ビジネス

ISBN: 9784622095248
発売⽇: 2022/08/16
サイズ: 20cm/249,74p

「奴隷会計」 [著]ケイトリン・ローゼンタール

 奴隷は、会計上どう記述されていたのだろうか。
 ある農場に何歳の男女が何人いたという記録くらいは本書を読まずとも想像できる。ところが、何某(なにがし)という奴隷の時価、綿花や砂糖の産出量、食費や衣料費などを記した帳簿まで突きつけられると、その事実をどう受け入れるべきか戸惑いを禁じ得ない。さらに、複式簿記や減価償却法などによって奴隷の価値の計測方法が標準化・共有され、生産性分析まで行われていたとなると、「奴隷会計」はテイラー流の科学的管理法に、かなり近づいていたことが理解できる。
 奴隷制度は産業化の礎なのか障害なのかを巡って、西欧では幅広い分野で論争が続いてきた。本書は、会計というツールに注目して奴隷制度の産業合理的側面を抽出し、論争に新たな一ページを加えた。ただし、南北戦争後の奴隷解放にもかかわらず、労働契約の形に姿を変えた旧奴隷の労働条件が改善されなかったことはよく知られている。本書は、会計情報が、労働者としての債務に転嫁されることで、いかに旧奴隷の自由の制限に利用されたかも指摘する。つまり、奴隷制度の合理的側面が、そのまま近代的マネジメントに直結したと言い切っていないのが興味深い。
 奴隷制度は倫理的に正しくない。だからといってその存在を消去すればよいわけでもない。ある面に限った合理性や、現代社会への示唆が見つかったならば、その当否は客観的に吟味されるべきだ。本書のような論争的書籍が、博士号取得後六年目の若手研究者によって出版され、各賞を受賞したのは米国の学界の中枢がまだ健全な証(あかし)だろう。
 本書で示されたように、近代的マネジメントは奴隷的管理とさまざまな類似点と相違点をもつ。その関係は、最近の「人的資本の情報開示」にも何か示唆を与えるかもしれない。奴隷制度に対して比較的中立的な日本の読者だからこそ、本書を問う意味は大きい。
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Caitlin Rosenthal 米カリフォルニア大バークリー校准教授。専門はビジネスにおけるマネジメント慣行など。