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「イオカステの揺籃」書評 闇を抱えた母の常軌を逸した愛情

評者: 藤田香織 / 朝⽇新聞掲載:2022年10月15日
イオカステの揺籃 著者:遠田 潤子 出版社:中央公論新社 ジャンル:小説

ISBN: 9784120055683
発売⽇: 2022/09/08
サイズ: 20cm/394p

「イオカステの揺籃」 [著]遠田潤子

 最低でも一区画が百坪はある昔ながらの屋敷町で、自宅の庭に見事なバラ園を造り育てる青川恭子は「飛び抜けた美人」であるという。まもなく五十六歳。物静かで振る舞いは丁寧で、受講するには三年待ちのバラに関する教室も開いている。その生徒たちは羨望(せんぼう)と尊敬をこめて彼女を「バラ夫人」と呼んでいた――。
 という設定から、もう不穏な気配を感じてしまう。バラ×美人。有無を言わせぬ絶対的な美しさの圧。
 「本の雑誌」が選ぶ年度ランキングで一位を獲得した『雪の鉄樹』や『オブリヴィオン』でも家族の罪と愛憎を描き、容赦なく読者に突き付けてきた作者だが、本書が抉(えぐ)りだすのは「母親」にまつわる難題だ。
 「バラ夫人」こと恭子にはふたりの子供がいる。長男の青川英樹は個人住宅を主に扱う三十二歳の建築家。まずはその妻・美沙が男の子を身籠(みごも)り、恭子に報告したことから物語は動き出していく。「男の子なんやね。本当によかった」「元気な男の子を産まなあかんからね」。美沙のもとへ次々とラインで送られてくるベビー用品や下着の画像。遠慮なく甘えてねと、あくまでも上品に丁寧に恭子の過干渉は加速していく。
 美沙にとっては鬱陶(うっとう)しく癇(かん)に障るばかりだが、美しい母に愛されて育った英樹にはその気持ちが解(わか)らない。ほどなく美沙は切迫流産と診断され、仕方なく恭子の取り仕切るバラ屋敷に身を寄せるのだが、常軌を逸した愛情を注がれ不安と恐怖に怯(おび)えるようになる。
 大手ゼネコンの「ダム屋」として家のことには無関心だった夫の誠一。英樹は母の闇に気付かず善良な息子として成長したが、妹の玲子は同じ母を「あたしの人生の敵」とまで言い切る。
 わずか二歳で死んだ次男の和宏の事故の真相が明らかになると共に、恭子とその母親や幾つもの母子関係が浮かび上がる。この揺籃は地獄か、それとも。「イオカステ」の衝撃は、読者の心を揺らし続けるだろう。
    ◇
とおだ・じゅんこ 1966年生まれ。2009年「月桃夜」でデビュー。著書に『冬雷』『銀花の蔵』など。