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初代バチェロレッテ・福田萌子さん『「なりたい自分」になるシンプルなルール』インタビュー あなたも私も特別な存在

福田萌子さん

パンツスーツのお姫様

――エッセイ『「なりたい自分」になるシンプルなルール』は福田さんがこれまで実践してきた自己肯定感を高める方法が様々に書かれています。スタイルブックではなく、この内容を選んだのはなぜでしょうか。

 読んでくださった方の人生が豊かになるような本にしたいと思いました。福田萌子という人間を通して、こんな生き方・考え方もあるんだなって、何か気づきや勇気を与えられたらと。

 思えば、「バチェロレッテ・ジャパン」への参加を決めたときもそうでした。女性が男性を選ぶという番組の成り立ちが、「女性は一歩下がって男性に従う」「女性はハイスペックの男性に養ってもらいたがる」というような、これまでの思い込みを覆せるかもしれないと思ったのです。もちろん、「真実の愛を探す」という目的を大前提としてですが、私の姿を通して、女性をチアアップしたいと思っていました。

――たしかに、「バチェロレッテ・ジャパン」の福田さんは、パンツスーツやエッジの効いたデザインのドレスを着こなし、ゆるふわお姫様とは一線を画すスタイルで男性たちと本音でぶつかっていて、とても格好良かったです。

 私はファッションはまず第一に自分を表現するツールであり自分のために楽しむものだと思っています。そのうえで素敵だねと言ってもらえたら、それはなお嬉しいこと。

 あのような番組に登場する女の子や、アニメのお姫様はピンクのふわっとした可愛いお洋服を着ている事が多いと思います。それもひとつのアイディアだとは思うんですけど、違う価値観もあるよっていうことを見せたかったんです。私の姿がひとつの多様性を知るきっかけになればと思いました。

©2020 Warner Bros. International Television Production Limited

――この本の中でも「多様性を受け入れると、生きやすくなるし、人間関係も楽になる」とありますね。

 幼い頃から、人と違うことはいいことだと思っていたんですね。だけど、周りの人は「あの子って変わってるよね(苦笑)」みたいに、ネガティブな言葉として使う。このギャップってなんだろうってずっと考えてきたんです。

 31歳ごろ、当時付き合っていた海外の男性に、「You are special」と言われました。その時もピンとこなかったんですよ。だって、私が特別だとしたら、じゃあ、この人は?あの人は?って。みんな特別な存在のはず。そう考えたら、「special」って「違い」のことなのかなと思って。誰もが人と違う部分を持っていて唯一無二の存在。だから、人と自分を比べることもない。その人はその人らしく、私は私らしくあればいいだけなんだから。そう思い至ったとき、とても楽になりました。

自信喪失から得た「セルフラブ」

――この本には挫折も描かれています。18歳~19歳にかけて、パリコレに出ようと渡仏。なかなかうまくいかず、当時の事務所の社長からのパワハラめいた叱責にも遭い、いったんモデル業から離れたそうですね。

 小さい頃から背が高く、周りから「将来はモデルさんだね」と言われて育ちました。ファッションが好きだったこともあり12歳でモデルのお仕事を始め、当時すでに身長が170cmあったこともあって、大学時代にはパリコレにも挑戦しました。

 オーディションという比べられて落とされる環境や、モデルは細くて白くなくてはいけないという概念が主流だった時代で運動ができず、また当時の事務所の社長から毎日のように叱責されて、「自分はダメで悪い人間だ」とどんどん自己肯定感が下がっていきました。毎日泣きながら電話をかけてくる私を心配した両親に「一回、沖縄に帰ってきなさい」と言われ、沖縄で両親と対話しながら体と心を休め、いったんモデルの仕事も辞めることに。自分を立て直すために、モデル時代に後回しにしていたやりたいことを、なんでもチャレンジしようと切り替えました。大学で勉学に励み、海外旅行や美術鑑賞で見聞を広め……。それまでは筋肉がつくからと事務所に禁じられていたスポーツジムに通い、体を動かす爽快感を知ったのもこの時です。そうやって少しずつ自分の好きな事を形成していきました。

 考えを深めるなかで出会った概念が、この本にも書いた「セルフラブ」です。直訳すると「自分を愛する」となりますが、自己愛とは異なります。私の解釈では「ありのままの自分を受け入れ、大切にすること」。自分を認められるようになると、「ありのままの他者」も認められるようになります。他者と意見が違っても、それはそれ、と客観的な意見として受け止められるようになり、人の意見に振り回されなくなります。自分の意見を恐れず言えるようになったのは、自分の意見を押し殺して合わせていた時代があったからかもしれません。

パリコレにチャレンジしていた18歳の頃

お別れの言葉は明確に

――辛いことや悩みがあると、ノートに気持ちを書き出し、セルフカウンセリングしてきたともありました。「バチェロレッテ・ジャパン」で男性陣の中から誰を選ぶか考えるときも、このノート術が役に立ったのでしょうか。

 旅の中ではノート2冊分ほど書いていました。最初は、はじめましての相手なので、お名前とお話ししたことや、一人ひとりのパーソナルな部分を書き留めていました。相手とのやりとりで感じたことや、決して決めつけるわけではありませんが、「もしかしたらこんな人かも」という暫定的なイメージも書いていましたね。(運命の男性候補にローズを渡す)ローズセレモニーの前には読み返して、この人のこんなところが素敵だった、こんな思い出があったと、その方とのストーリーを振り返って伝えたいお別れの言葉を考えていました。

――お別れの言葉?

 はい。ローズを渡せない、今回で逢えなくなる方への言葉を考えていました。お別れの言葉は明確に、論理的に、「あなたはとても素敵な人だけど、私達は合わなかった」と交わらないお互いの価値観や、お互いが求める愛のカタチの違いを伝えたかったんです。ほわっとした「なにか違った」とか、「楽しかったよ」という良いことだけの言葉だと、あとあとずっと悩んでしまうじゃないですか。「何がいけなかったんだろう」「何が違ったんだろう」って。モデルのオーディションで明確な理由がなく落とされると、そのあと何が悪かったんだろうとずっと自問自答してしまうんです。その苦しさを知っているからこそ、お別れの言葉は厳しく見えてもいいから明確に、と考えていました。

――「視聴者から嫌な女だと思われるかも」と気になりませんでしたか。

 全く考えませんでした。私がどんな言葉を相手にかけても、全てが視聴者の目に届くわけではなく、配信されるのは一部分。一部分だけしか届かない方を気にするよりも、いま目の前にいる人と向き合って、相手のために言葉や思考を使いたいから。お互いこの番組に参加してよかったねって思えるところまで誠意を尽くしたいと思っていました。そうしてお相手ときちんと関係を築けたら、視聴者の方も見えない部分の私たちの絆をなにか感じ取ってくれると思っていました。

©2020 Warner Bros. International Television Production Limited

――さすがバチェロレッテです。でも、17名の男性一人ひとりにその向き合い方をするのは、とても大変だったのではないでしょうか。

 17名の方々はもちろん、番組に関わっている方全員に、この「バチェロレッテ・ジャパン」に携わってよかったと思ってほしかったんです。お仕事のスキルアップや良い作品が創れたと思う達成感もあるだろうし、私と男性たちのやりとりを見て「また恋をしたくなった」と思うのでもいい。何かしら持って帰ってほしかった。もしそれができていたならうれしいです。

――「バチェロレッテ・ジャパン」の結末は番組を見ていただくとして、福田さんは最近、パートナーとの事実婚と妊娠を発表されました。パートナーを「運命の相手」に選んだ決め手は何だったのでしょうか。

 パートナーとは、お友達と富士山を自転車で登っているときに出会い、そのあともイベントで偶然一緒になったりしたのですが、とくに印象もなく、当初は苗字しか知らなかったくらい。

 だけどある日、共通の友人たちと一緒にマウンテンバイクに乗りに行ったとき、お友達が事故を起こして大けがをしてしまったんです。ドクターヘリが来るほどの大けがで、周りは「え、怖い」「大丈夫かな?」「どう思う?」なんてあたふたとするばかりで。私はそういう時、とにかく感情は置いて、今必要なことを優先順位をつけてやるのみと動くタイプ。すぐにここを片付けて病院に行って、病室を見て、そのお友達が帰るのであれば、車の手配をして……って。そしたら、彼だけが私と同じく淡々とするべきことをこなしていて、「あ、この人……」と思ったんです(照)。

 淡々と優先順位を決めながら彼が、変わってしまった予定にネガティブなことを言うのではなく、本人は何も悪くないのに「予定を狂わせてしまった」と、けがをした友人以上に周りに謝っていた姿も印象的でした。

パートナーも反対だった「事実婚」

――すてきですね。なぜ事実婚を選ばれたのですか。

 入籍することにメリットを感じなくて。バチェロレッテの頃は、結婚と出産はセットだと思ってたんです。子どもを産むなら、籍を入れていないとって。でも今は少し時代も進化してきたかなと。はじめはパートナーからも反対されました。「変わった人だと思われるよ」って(笑)。もともと彼は、「女性は家にいるもの。弱いから守ってあげないと。養ってあげないと」という価値観の人。その考えも根本にあるのは彼の優しさなんですけれどね。それが私と出会って1年ぐらいで、まったく違う人かっていうくらいに女性の在り方について理解してくれました。

 SNSでは「苗字が違うなんて子どもがかわいそう」とよく言われるのですが、私と彼は愛し合っていて、自分たちの子を何よりも大切に想っています。そこには愛しかない。その事実さえあれば、苗字が同じか同じでないかなんて、関係ないと思うんです。

 デメリットも皆さんに言われるほど感じません。色々調べて唯一懸念していたのは、相手に何かあったとき、病院の同意書にサインできないこと。でもこれも、お互いの意向を普段から話し合って確認しているので、相手の両親にそれを伝えてサインしてもらったり、子どもが大きくなれば子どもにサインしてもらえばいい。私は彼のご両親と、彼はうちの両親と、そこまでの信頼関係をきちんと築けているので、今は心配していません。

 この先、やっぱり婚姻関係にあったほうがいいと思ったら婚姻届を出すかもしれませんが、今のところはこのままの関係でいいと思っています。

パートナーとのウェディングフォト

自己肯定感を育むスクールを

――なるほど。では、どんな子育てをしたいと思いますか

 最近、よくその質問を頂くのですが、よーく考えた結果、なんの方針もありませんでした!(笑)。というのも、まだ会ってもいない、どんな性格かもわからない子の育て方の方針を勝手に決めるのは失礼かなと。子どもと言っても未熟な人間であって、それは私達大人も同じ。生きている年数が少ないから知らない事が多い分、導いてあげたいとは思いますが、その子がどうしたいか、どう生きたいかをしっかり聞きながら、1人の人格として接していきたいです。

 環境を与えるぐらいしかできないので、沢山の選択肢を与えられるように整えて、その中でその子がやりたいと思ったことをこちらは見守り、ただ愛するだけでいいんだと思います。

――妊娠を経て、「なりたい自分」像に変化はありましたか?

 産後ではなく、妊娠前の自分一人の体でいるうちから自分の体を知り、基礎体力を身に着けておくことの大切さに改めて気付きました。みなさん、マタニティヨガとかマタニティスイミングとか、妊娠中に急に運動を始めようとするんですけど、今までまったく運動しなかった人が、妊娠中という体力が落ちている状態で取り組んでも、産後ボロボロの体で赤ちゃんをケアできるような体力を残しておけない。そう思うと、やっぱり体力のベースアップが必要。若いうちから運動をして「貯筋」することが大事だなって思うんです。その元をたどれば、結局子どものうちから運動習慣を、というところに行き着くんですよね。それも誰かと競ったり、追い込んだりするようなものではなく、自分の体と心を理解し、大切にするために。

 自分の体に敏感になって、人と比べず、自分の力で生きていける自己肯定感を、スポーツを通して育ててあげたい。以前は運動スクールのようなかたちで考えていたのですが、子どもを授かってからは、そんなことを教えられる場を作れたらいいなと思うようになりました。「あなたもわたしも特別な存在」。そう思える人が増えたら、豊かな社会になっていく。そのためのお手伝いをしていきたいです。