1. HOME
  2. コラム
  3. 信と疑のあいだ コロナ後の世界を探る
  4. きしみ、受け止める人たち 青来有一

きしみ、受け止める人たち 青来有一

イラスト・竹田明日香

 スーパーマーケットのレジに怒鳴り声が響きました。声の主はグレーのシャツを着た大柄な男性で、白髪の高齢のひとです。なぜ怒ったのかはわかりません。そのひとは肩を怒らせて去っていきました。

 レジの女性の横顔がその時ちらりと見えました。黄色いTシャツにオレンジ色のエプロンのユニホーム姿で、表情はマスクに隠れていましたが、頰をこわ張らせた感じでうつむき加減に目を伏せ、次の客のカゴの中から商品を取り出してはバーコードを読み取り、淡々と作業を続けていました。

 数日後、今度は路線バスで同じような声を聞きました。声の主はやはり高齢の男性、運賃不足を指摘されたことにいらだち、硬貨を運賃箱に投げ入れ、なにか捨てぜりふを吐いて降りていきました。運転手の姿は大きなハンドルを握る白い手袋しか見えず、バックミラーに映った顔も帽子の庇(ひさし)とマスクで隠れていましたが、自動ドアを閉め、「出発します」と穏やかにアナウンスするまでの一呼吸の間(ま)に胸で沸き立つ感情をぐっとこらえる気配を感じました。

     *

 コロナ禍の長い閉塞(へいそく)状況から抜け出し、世の中の活気がもどってきました。街を歩いていると一昨年のゴールデンウィークの人影もまばらな街の景色を思い浮かべないではいられません。まさにあれは沈黙の春で、二年半が過ぎた今は喧騒(けんそう)の秋となりました。

 街ににぎわいがもどり、人と人が接する機会が増えると世の中のきしみもまた多く聞こえてくるようにも感じます。だれがそのきしみを受け止めているのか、あれこれ考えていると自分の役割を果たしている現場の人々の姿が浮かび上がってきます。日々の怒りや不満を胸に沈め、黙々となすべきことを成し遂げていく人々。彼らがいなければレジは長い列ができて滞り、バスの安全な運行にも支障がでることになります。

 コロナ禍の暮らしを支えたエッセンシャルワーカーに代表される人々が、とりあえず受けとめてくれるきしみが、やがて別の声となって世の中を変える地下水脈になっていくようにも感じます。

 他人から文句を言われたら犬に吠えられたと思えばいいとあるユーチューバーが話していましたが、そうした鈍感さは自らを守る力になっても他人の声を聞く力にはならないでしょう。怒りやいらだちにもさまざまなメッセージが隠れているかもしれず、それはそれで真摯(しんし)に受け止めていかなければならないようにも思えます。

     *

 住宅街を歩いていると一軒の家からトイプードルの老犬がよぼよぼと走り出てきて、道路の真ん中に座りました。栗毛色の犬は後ろ脚で耳をかき、その脚のにおいをしきりに嗅いでいます。宅配の軽トラックがちょうど通りかかり、目鼻の先まで近づいても、犬は脚のにおいに夢中で動こうとはしません。飼い主にまちがわれて配達員の不審の目を向けられ、しかたなく口笛を吹いて呼んだら、犬はきょろきょろあたりをうかがって近づいてきます。アタマを撫(な)でようと手を伸ばすといきなり唸(うな)って吠えられました。

 犬の両目ともに白の碁石を埋めこんだように乳白色で、黒目がないことに気づいたのはその時です。たぶん白内障でしょう、ほとんど見えないのではないかと思います。

 ひざにサポーターを巻いた飼い主のおばあさんが足をひきずりながら現れ、犬に逃げられたことをしきりに詫(わ)び、配達員も事情がわかってこちらに一礼してほほ笑みました。おばあさんに抱かれた犬はおとなしく腕に顎(あご)をのせ、白い目を青空に向けています。

 人と人の関係だけが世の中ではなく、人と犬や猫など小動物とのつながりもその一部なのでしょう。彼ら小さなものたちもまた黙って、人の世のきしみを受け止めていてくれるのかもしれません。=朝日新聞2022年11月7日掲載