1. HOME
  2. 書評
  3. 「陸軍大将・前田利為」書評 存在通じて昭和史の自省を促す

「陸軍大将・前田利為」書評 存在通じて昭和史の自省を促す

評者: 保阪正康 / 朝⽇新聞掲載:2022年12月03日
加賀百万石の侯爵陸軍大将・前田利為 1885−1942 著者:村上 紀史郎 出版社:藤原書店 ジャンル:伝記

ISBN: 9784865783568
発売⽇: 2022/09/27
サイズ: 20cm/527p

「陸軍大将・前田利為」 [著]村上紀史郎

 前田利為(としなり)の本格的な評伝はほとんどなかった。近代史での役割が可視化できなかったからである。しかし加賀前田家の16代当主、大名華族、帝国軍人としての顔に、文化伝統の守護者の顔などを加えると、近代史の「負」を克服する重みがあることがわかってくる。
 明治18(1885)年に加賀藩の支藩、七日市藩当主の五男に生まれるも、世継ぎがいないため加賀前田家の当主になり、侯爵になって帝王学を学ぶ。国際感覚を身につけた新時代の教養人、人格陶冶(とうや)に努める天皇制国家のエリート軍人などの面を本書は解説する。利為が生きた時代の枠組みを検証すると、彼がなぜ重用されなかったかがわかる。「外国かぶれの貴族将校」という軍内の誹(そし)りが反感を呼んだ節もある。
 利為は陸軍大学校の成績も優秀で、陸軍士官学校の一般中学からの入学組では最優秀であった。17期の同期生・東條英機からの追い落としで、予備役に(1939年2月)。派閥抗争には関わらず、満州事変の裏側などは知らされず、対米英関係が悪化しても自邸に大使を招いて午餐(ごさん)会を開き、友好関係の維持に努めた。その来歴を具(つぶさ)に見ていくと、結局、二つの結論に達する。
 一つは、加賀藩のような大藩は上流階層と姻戚関係を結び、天皇家とも結びついて独自の上流階級を作ったこと。もう一つは、利為は青年期にヨーロッパに留学し国際感覚を身につけ、その目が必ずしも国策と一体化していないこと。2・26事件への怒り、関東軍の国際社会を無視した独断的行動への不満を日記に書いている。
 ただし、そうした意見を正式に発言できるポストにつけられないのは、陸軍の組織上の欠陥でもあった。
 37年、宇垣一成への大命降下は陸軍首脳により潰される。利為は、「軍の此(こ)の軽挙、信望を失ふこと大なり」と日記に怒りを書き残す。利為の存在は昭和史の自省を促す契機になる。
    ◇
むらかみ・きみお 1947年生まれ。エディター、ライター。著書に『「バロン・サツマ」と呼ばれた男』など。