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現代社会が人間を疎外していく過程感じる「セロトニン」 小澤英実が薦める文庫この新刊

小澤英実が薦める文庫この新刊!

  1. 『セロトニン』 M・ウエルベック著 関口涼子訳 河出文庫 1210円
  2. 『みんなが手話で話した島』 ノーラ・エレン・グロース著 佐野正信訳 ハヤカワ文庫NF 1188円
  3. 『ピエタとトランジ』 藤野可織著 講談社文庫 792円

 人間がいかに生息環境に左右される社会的動物かがわかる三冊。現代文学きっての問題作家による(1)は、異性愛者のブルジョア白人中年男性の破滅を描く。抗鬱(うつ)剤の作用で性欲を消失した彼は仕事を辞めて蒸発し、幸せな愛に包まれた過去の記憶に心身を蝕(むしば)まれていく。その緩慢な死の行路は、フランスの農家の絶望的な状況が示すように、現代社会が人間を疎外していく過程そのものだ。

 人間のステータスは、共同体が規定するものにすぎないことを示す(2)は、米国東部の避暑地として有名なマーサズ・ヴィンヤード島での丹念な聞き取り調査の記録。入植以来、遺伝性の聾(ろう)者が多く存在したこの島では、かつてみな英語と手話のバイリンガルで会話していた。聾者が完全に社会に溶け込んでいる島の暮らしに驚かされる。マジョリティへの適応を強いられるのではなく、共同体の構成員全員が自然と手話を発達させることで、聾を社会的不利益にしなかったこの島は、けっしてファンタジーの世界にあるのではない。

 (3)は奇想天外なツイストが冴(さ)え渡る探偵小説。殺人事件を誘発する体質の女子高生探偵トランジと、彼女に魅せられ助手になる級友ピエタ。体質が他者に感染するトランジの社会的な孤絶の深さは、コロナ禍を経た私たちにより親身に感じられる。男性ばかりが活躍する探偵ものや「君と僕」が危機を救うセカイ系の物語を見事に翻(ひるがえ)し、誰が死のうがしぶとく生き延びる女たちに快哉(かいさい)を叫びたくなる名作だ。=朝日新聞2022年12月3日掲載