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宇野常寛さん「砂漠と異人たち」 SNS時代は情報の洪水と相互評価の牢獄、抜け出す鍵は?

評論家の宇野常寛さん

 コロナ禍やロシアのウクライナ侵攻などをめぐり、ネット上では今も多くのデマや不確かな情報が行き交っている。宇野さんは、誤情報の流通を防ぐNHK「フェイク・バスターズ」の番組づくりにかかわるなどしながら、情報化が進む現代社会は誰もが相互評価のゲームから抜け出せずにいると痛感してきた。

つながりすぎる現代

 人と人がつながりすぎることで生じる情報の洪水と相互評価の牢獄から、どうすれば抜け出せるのか。宇野さんは、閉じたネットワークの「外部」に目を向ける必要性を指摘する。「外部」への手がかりが「砂漠」と「ロレンス」だ。

 宇野さんは映画「アラビアのロレンス」(1962年)を10代の頃に見て以来、砂漠と英国の歴史上の英雄への興味を抱いてきたという。トマス・エドワード・ロレンス(1888~1935)は第1次世界大戦中の中東で活動した英国陸軍の情報将校。戦争中の活躍が注目を集めた一方で、虚実ないまぜで批判も多い伝説的人物だ。オスマン帝国支配下のアラビア半島で現地勢力のゲリラ活動を支援したとされる。

 「ロレンスは『自分探し』的に本国を遠く離れた砂漠を活躍の場としたが、マスメディアが英雄にまつり上げた。そのため戦後は精神を病み、マゾヒズムに耽溺(たんでき)した。最後はスピードを出し過ぎたオートバイ事故で命を落とした」

 約100年前のロレンスが求めた近代社会の外部への憧憬(しょうけい)の行き着いた先が、当時発達し始めていたマスメディア上での「英雄」化とその像の独り歩きだった。この皮肉な軌跡は、ヒッピーの脱社会志向をそのルーツに持つインターネットが、むしろ「世間」そのものに変貌(へんぼう)したことに重なる、と宇野さんは見る。

 「哲学者ハンナ・アーレントは(英国とロシア帝国との中央アジアをめぐる覇権争いを指す〈グレートゲーム〉を念頭に)ロレンスを『もっともきれいな手でゲームに参加した』と評している。ゲームとは、社会の外部で半ば匿名化し、他のプレイヤーとスコアを競うことで生きがいを得る行為。このゲームが、僕には今日のSNSに重なって見える」

 中東諸国に民主化の動きが広がった「アラブの春」で使われたSNSは、当時「動員の革命」をもたらす手段だった。だが、10年余を経た今、SNSは承認を交換するゲームの場所でしかない。「問題の解決ではなく、どう回答すると他のユーザーから評価されるかだけを考えるようになっているのが今日のSNSであり、ネットの言論空間。この大喜利では、問題解決の方法や問いの立て直しは決して問われない」

情報と距離を取って

 宇野さんは新著で、「なりたい私になれる場所」を遠くに目指してSNSのゲームに耽溺するのではなく、むしろ日常の暮らしの中でしっかり距離を取りながら情報に接する姿勢が必要ではないかと説く。

 「ロレンスは結局、砂漠で得られた名声に縛られた不自由な後半生を送った。彼には『ここではないどこか』に自己解放の場を追い求めずに、暮らしの中で周囲の環境と自分自身とを少しずつ変えていく姿勢が必要だったのでは」

 宇野さんによれば、ロレンスが陥ったわなを乗り越える道は「速さを求めず、走ることそのものを楽しみながら『遅く』走るように情報や社会に接すること」にあるという。日課として都内を走る宇野さんにとって「走ることは、美容や健康やゲームの勝利のためのものではなく、その土地との対話を楽しむ行為」だ。

 「論壇や文壇で『速さ』や『強さ』を誇示して注目を集めるような振る舞いはもうしたくない。論破しない。人をおとしめない。観客との馴(な)れ合いの快楽を求めないことをルールにじっくり本を読み、議論する場をつくっていきたい」

 本の最後で宇野さんが提示する解決策は「庭」だ。

 「ロレンスは砂漠の戦場の非日常よりも、まずは日々の暮らしの中に自己肯定の機会を探すべきだったのではと思う。僕のイメージは『砂漠』ではなく『庭』。庭は日常的に自分で手を入れながら維持する身近な自己と社会との結節点。遠い砂漠ではなく目の前の庭を通じて社会や歴史に責任あるコミット(関与)を行う文化を育む必要があると思う」

 宇野さんは今後も、情報社会で人が落ち着いて思索を深める環境に必要な条件を探っていく。(大内悟史)

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 うの・つねひろ 1978年生まれ。評論家。雑誌「PLANETS」「モノノメ」編集長。著書に『ゼロ年代の想像力』『リトル・ピープルの時代』『母性のディストピア』『遅いインターネット』など。=朝日新聞2022年12月14日掲載